☆ お代は10万馬力なり ☆

森有人

 鉄腕アトム生誕の地、東京・高田馬場に、地元商店街との連繋による「地域通貨」が誕生した。呼称単位は「円」ではなく、アトムにちなんで「馬力」。通貨価値の変動をものともしない堅実さが滲み出てくる響きではあるが、政府紙幣と等価なこの通貨は、果たして激動の時代を持ち前の馬力で突破できるのだろうか。

 かつて、このコラムで健筆を振るう井出、里見両氏とアトムの誕生日2003年4月7日を記念し、戦後の繁栄の表象としてのアトムについて議論した。受け取り方はさまざまであっても、アトムは、戦後世代共通のヒーローである。そんなアトムを冠にしたことで、漠然とした知識しか持ちあわせない筆者を始めとする人たちに、地域通貨を知らしめる効果は極めて大きい。だが、話題性がいかに大きくとも、地元商店主たちの手による地域経済活性化策と日本国通貨との等価性を備えた地域通貨の意味に首をかしげたくなるのも事実。

 戦後のブレトンウッズ体制では、金ドル本位制を柱に据えた「埋め込まれた自由主義」の下で、通貨変動と恐慌リスクは一定の範囲内に封印されてきた。しかし、20世紀終盤の20年間の変動相場制と金融自由化を機に、資本主義は先祖返りし、"海図なき航海"の時代に再突入。いつ自国の通貨価値が大変動に直面しても不思議でないほど、混沌とした時代を迎えている。まして、通貨の安定を経済成長路線の犠牲にし、国債を大量発行し、超の文字が重複する金融緩和が続いた日本の潜在的な通貨価値の暴落リスクは、いずれ噴火するマグマの状態にある。地域通貨が補助通貨としての機能を併せ持つと、インフレリスクの顕在化の影響を直に被ることになる。

 先祖返りした資本主義に対抗し、個々の人間と社会のつながりを基本に、地域の秩序を再構築し、下からのセーフティネットを構築しようというのが、地域通貨本来の姿ではないのか?他律的、支配従属的な発展の形態を全否定し、人間的発展を目指した共生の社会という、仏フーリエの空想的社会主義的協同組合思想と一脈通じるのが地域通貨と、素人ながら勝手に得心していた。つまり、直接に対価を求めない人間の、ボランティアなど、他者や社会に対する思いやりの行為を有形の通貨という形に表現したのが地域通貨であれば、アトム通貨は、それとは似て非なるもので、"客寄せパンダ"に堕する恐れなしとは言えないのか?という疑問が湧いてくる。

 日本経済も、デフレの出口へもう一息という状況にやっとたどり着いた。そんな実感が経済統計や2004年3月期決算の中に読み取れるが、安穏としてもいられない。10年間、政府の景気刺激策を支援してきた日銀の金融政策が早晩、転換期を迎え、インフレ圧力と対峙するのは必至。デフレの出口は、混沌の時代の入り口ともいえるが、地域通貨を日本的にアレンジしたアトム通貨が、たくましく生き残ることを願ってやまない。ぼくらのアトムが紙切れに堕する情景だけは、あって欲しくないものだ。

(H16/4/29記)


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