☆ プライド オブ ヤンキース ☆

森有人

 勝つことを知らなくとも精一杯走り続けるハルウララの感動の余韻が残るなか、来日したYankeesと読売の友好試合が開催され、日米の金満プロ野球チームに注目が集まったかに見えた。ただし、両チームをご贔屓にするシンパを除けば、「何かが違う」と感じたに違いない。豪華な顔ぶれに関心を抱くよりは、松井(元読売)の日本再登場に期待したものも多いだろう。松井の成長ぶりを見ることで、日本の野球の国際的な実力を確認したいと。

 プロ野球を取り巻く時代は日米ともに変わった。戦前の大恐慌期に活躍したルー・ゲーリックは、映画のタイトルともなったThe Pride of the Yankees(1942) の称号を得て、迫力の打棒と紳士的なプレースタイルが賞賛の的になった。ALSという難病で途切れた2130試合という大リーグ連続出場試合記録は、1995年にオリオールズのカール リプケンJr. に更新されるまで不滅の金字塔とされ、元祖Iron man(鉄人)がルーでもあった。

 だが、ルーやベーブルースの「殺人打線」の時代から、大リーグは、似て非なる世界へと変貌を遂げた。松井は変化の象徴でもある。「米国人による、米国で常に一番強い、米国人期待のチームがヤンキース」という姿を望むのはニューヨーク市民でしかない。そのニューヨーク市民でさえ、日本人の松井、中南米系のロドリゲスがダイヤモンドを疾駆する姿に熱烈声援を送っていることでも明らかなように、活躍する選手の大半は、非米国人であり、Yankeesの生え抜きではない。

 「じゃあ 寄せ集めの読売と同じじゃないか」。そんな指摘もできるかもしれない。事実、豊富な資金力で優秀な選手をかき集め、新聞拡販(営業)と一石二鳥の効果を狙った常勝チームを編成するという点では同じだ。重要な点は、日本の野球ファンが熱い視線を送ったのは、読売の中心打者だった松井でも、The Pride of the Yankeesとしての松井でもない。「レベルの高い大リーグ」で活躍する松井が見たかっただけではないか。チームはどこでもよかったのでは。現代のそうした観衆の個人的感覚との認識のズレを、日米金満チームの豪華顔ぶれの中に感ぜずにはいられない。

 かりに、松井が現代版The Pride of the Yankeesのヒーローとして、かつてゲーリックを演じたゲーリー・クーパーのように「私ほど恵まれた男はいない」と聴衆に語りかけても、ルー時代のような感動はないだろう。まして、The Pride of Yomiuriなどという、松井を主人公にした映画が製作されたとしたら、想像するだけで安っぽい喜劇臭さが漂う。あえて個人的な好みを言わせてもらえば、かつての「ダメ虎」、いまの「横浜銀行」のような、野球界のハルウララのようなチームに人間臭いドラマを感じ、妙な親近感を覚える。いずれにせよ、変わる日本のプロ野球を期待したい。(H16/04/ )

(H16/4/7記)


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