☆ アンコールワットを返して ☆

森有人

「カンボジアはアンコールワットを返してほしい」- 。タイの人気女性歌手の発言が、カンボジア国民を刺激したというニュースを最近、新聞で目にした。帝国主義支配の間隙を縫う形で民族主義が噴出した60年前のインドシナに舞い戻ったような、事の背後の複雑さに惹かれる印象的な記事だった。

 インドシナ半島に特別な思いもなければ、見過ごしてしまうほど小さな扱いの記事だが、日本人は、「アジア」をまとまった地域として意識するほどに、アジア各国の実情は知らない。アジアン料理レストランが都内に多数あるが、インドネシアかベトナムか、そんなことお構いなしに、胃袋に詰め込み飲むような漠然としたアジア観が支配する。

 要するに、知らないことばかりなわけだ。いまだにアンコールワットの領有権にこだわるタイもそうだ。たとえば、20世紀に英米に大胆にも宣戦布告した国がアジアにもう一カ国あるのをご存知なら、これは相当なアジア通。フランスがナチス・ドイツに降伏するや否や、インドシナの盟主の座を目指し、対仏印に戦争を挑み戦局悪化を、日本の仲介によって停戦協定に漕ぎ着けた。“勝ち馬”に乗りたい一心でタイは、日本への通告のないまま、真珠湾攻撃の1ヶ月後に米英に宣戦布告する。さらにドイツに日独伊枢軸同盟入りを打診したとか。

 それで終わりではない。日本の敗色が濃厚になると、米英宣戦布告の撤回を宣言する。こんなことが国際法の常識で通用するはずはないが、タイの言い分は「日本に強要された宣戦布告」。タイ事情通によれば、タイの現在の歴史教科書では、「強要された宣戦布告」説が記述され国民の常識になっているとか。もちろん、それはタイ国内のみで通用する論理にすぎない。

 いま、通貨危機後のタイは、タクシン政権の下、東南アジア諸国の間で強力なリーダーシップを発揮している。時代が変わり世界の周辺国から完全に脱皮したとはいえ、小国は小国。冷戦後の秩序が流動化するなか、いまなお“勝ち馬”願望があっても不思議ではない。明白に変わったと言えることは、日本を“勝ち馬”と妄信する愚は二度と犯さないことだろう。

(H16/1/30記)


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