森有人
来年度予算政府案が閣議決定すれば、年末に向け新聞の情報量はどんどん薄くなり、年明けとともに中身は薄いが電話帳のように分厚い新聞が届く。そんな資源の無駄に付き合う人の数も知れたものだろう。新聞を読まずに捨てる年末年始の惰性と余韻もいつもならしばらく浸るところだが。2004年の幕開けはそうでもない。ポスト9.11の激動の予兆である。 「戦後」を時代の転機に位置づけ、人々は時代の空気を吸ってきた。太平洋戦争・第二次大戦後の社会を想定する時代が30年以上続き、東西冷戦後の世界が10年経過した。いまさら「冷戦後」という枕詞を使っても時代遅れの響きがするだけ。しかし、あくまでも時代遅れのイメージであって、とくに日本を含めたアジア地域が、冷戦前後の変化に対し、サボタージュし続けたかのように、構造変化の読み取れない時代が続いたのが「失われた十年」のもうひとつの実態かもしれない。 そしていま、「変わらない不安」から「変わる不安」へと世界は導かれようとする。地域的安全保障を忌避してきた東南アジア諸国が、安全保障共同体構想を提唱し、その踏み絵として「友好協力条約」の締結を中国、インド、そして絵に描いたような優柔不断を地で行く日本に迫って、調印に漕ぎ着けたのが昨年末。他人のフンドシで相撲をとるというが、十人十色の連中は激しさを増す自国領土内のイスラム原理テロに対抗するために、近隣大国に相撲をとらせようという大胆ぶり。 そうかと思えば、冷戦後もカシミール地域で宗教・領有権をめぐり対立を続けてきたインドとパキスタンの宿命の敵国どうしが年初早々に、平和条約交渉入りで合意に達し、ネパール、バングラディシュとともに自由貿易圏の創設を正式決定してしまった。いずれも、9.11後に鮮明化したグローバルテロと、米国の単独行動主義外交に突き動かされる対応だが、こうした地域構造の変化の前触れを9.11前に信じたものは皆無に近かったのではないか。 米国の単独行動と帝国時代は徐々に崩壊とまではいかないものの、静かに変容に向かう。それに比べて、足下の日本の現状は、筆者個人の生活と同様に、夢も希望もいまひとつ。しかし、絶望と幻滅の言葉だけは回避したい。「変わる不安」を興奮する変化の予兆にしたいものである。そんなわけで、みなさん今年もどうぞよろしく。 |