☆ 教育問題 ☆


里見 哲


 何が問題なのかー中学校公民テスト問題を考える。
 ある中学校の公民の試験で、汚職事件で逮捕された市長の氏名を書けという問題が出され、校長が出題した教師を叱責したという事件が報道されている。その問題に対して、試験を受けた生徒の家族から学校に抗議が寄せられたのが発端という。校長は、叱責の理由として「市長は、この学校にも訪れるなど、身近な存在であり、生徒のショックを与えるような問題は、好ましくない」とコメントしているようだ。

 報道の自由のもと、マスコミ各社がこのニュースを取り上げたこと自体の是非は問わない。問題は、いくら記事を見ても一体何が問題と考えて各マスコミが報道しているかが分からない点にある。汚職事件の市長の名を書かせる問題を出題した教師が悪いのか。もし、公民という授業の目的が、現代社会について学ぶことにあり、生徒にメディアに注目するように指導しているのだとしたら、この出題は非難ばかりされるものではないだろう。

 抗議を寄せられて教師を叱責した校長が悪いのだろうか。抗議を寄せられて初めて叱責したというマネジメントの問題なのか。それとも問題を出した教師のほうが正しく、校長が間違えているということか。管理教育の弊害ということなのだろうか。あるいは、「生徒にショックを与える」という校長のコメントが、刺激に富む現在社会の中であまりにも陳腐であるということなのだろうか。この記事で知りたいと思った唯一の内容は、試験の正当率だったが、校長は「把握していない」と言っているらしい。この把握していないことが問題なのかもしれない。

 もしかしたら、抗議した家族が常識知らずということだろうか。公教育に対し、このような問題で校長の手を煩わすのは、いわゆる戦後市民社会の弊害ということだろうか。逆に政治的な圧力をかけたということなのかもしれない。

 客観報道と言われるが、この記事は、各社が取り上げる内容がどこにあるのかさっぱり分からない。校長ではなく記者のほうに取材したいくらいだ。ということは、記事の目的は、読者のメディアリテラシーを高めるための仕掛けだと考えるべきなのだろう。さまざまなことを考えさてくれたこの記事は、確かに掲載する価値が高かったに違いない。

(H14/11記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.