☆ 反戦の中の「アホでマヌケ」なアメリカと日本 ☆


■ 反戦の中の「アホでマヌケ」なアメリカと日本

 砂塵の中を米英同盟軍が、バグダッドを目指し進撃を開始した直後、米国では"映画の祭典"アカデミー賞授与式が開かれた。日本のアニメ「千と千尋の神隠し」をはじめとする受賞作品の顔ぶれ以上に興味深かったのが、受賞者のスピーチの数々。

 映画のメッカ、ハリウッドは、米国の自由と民主主義に歩調を合わせるかのように、その時々の時代を映す"自惚れ鏡"のように足跡を残してきた。政治とも決して無縁ではなく、冷戦初期には「赤狩り」の嵐が吹き荒れた。そして、今回の授賞式のスピーチでは、「反戦」がテーマのひとつとなり、喝采が飛び交い、アメリカの世情を如実に物語っていた。

 「偽の選挙で、偽の大統領が選ばれ、偽の理由で戦争を始めた。戦争反対!ブッシュ!恥を知れ」−。長編ドキュメンタリー部門賞を受賞したマイケル・ムーア監督の怒りのスピーチが、イラク戦争のニュース報道の谷間に繰り返し流された。このスピーチに共感を覚えた日本人も少なからずいるだろう。しかし、「ブッシュ批判」を只管、絶叫し、笑みを浮かべながら舞台を颯爽と去って行くムーア氏の姿は、同氏の著作『アホでマヌケなアメリカ白人』のタイトルをどことなく彷彿とさせる。

■ 偽りの大統領、偽り戦争?

 「偽の選挙で、偽の大統領」という前段部分の2つの「偽」についての判定は、当事者である米国民の判断に委ねる筋のものだが、問題は最後の「偽の理由」だ。戦争を「真偽」ないし「正義・不正義」で分別することの難しさは言うまでもない。かりに、国連決議を経て、国際協調を前提にした対イラク武力制裁であったならば、「正義」の戦争になり得るのか?それでもなお多くが、武力行使に否定的な見方を下すだろう。

 冷戦終結と超ハイテクによる軍事技術へ飛躍的革新が、戦争の背景と仕組みを、一段と複雑、かつ一般に理解しにくいものに変えてしまった。個人的な感情を排除すると、この複雑な戦争の構図は、ブッシュ政権が単独で作り出したものではない。強いていえば、旧ソ連崩壊後の世界が、なし崩し的に超大国米国を中心にした「一超多強」時代をもたらし、戦争についての可否の判断を、一重に米国に委ねる世界を創出した。

 貿易・金融といった国際経済の世界の秩序は、相手の合意と協調が前提になるが、世界の安全保障はその限りではない。米ソ二項対立時代の相互認証破壊(MAD)システムの抑止力は機能せず、安全保障観と戦略の大幅な見直しを余儀なくした。一頭抜きん出た米国のみが、世界の軌道を一変させる力を誇る。これをチェックできるのも、唯一、米国の世論と国内政治という構図に、世界の政治は向かっている。

■ 戦争の可否判断の資格もない日本

 グローバル資本主義の総本山の米国ニューヨークを突如、自爆テロが襲った『2001.9.11』以降、先制攻撃理論と対テロ戦争に急傾斜し、強引にイラクをテロに結びつけ戦線を拡大していった米国の決断を、「偽り」と指弾するのは容易い。しかし、世界システムをチェックする"権限"を付与された米国世論のうち、約7割が、戦争支持しているのが、現実である。悲しい哉。「人間の盾」と称して、戦争回避を狙いに身を呈してしようとしても、米国の国内政治と世論の太宗が、戦争を支持する以上、理論上はまったく抑止効果を持たないことになる。

 この極めて不安定な構図に対し、納得の上で、「日米同盟は重要」との判断を下し、対米支持を表明したのか?というと、日本の姿勢は極めて心許ない。歯切れの悪い説明に終始した日本政府のアカウンタビリティ(説明責任)に対する批判も少なくない。一方で、朝鮮半島情勢が、多くの認識を「対米支持も止む無し」に傾かせている、という。だが、朝鮮半島の危機が、仮に現実のものとなって「有事」が勃発した時、米国が「正義の戦争」に即、反応するどうかは、これも米国の世論次第という構図である点では変わりはない。ムーア氏のスピーチに、余興のように反応し快哉を叫ぶ聴衆・・。これが、軽佻浮薄な空気の中で「反戦」と「自由の戦争支持」の間を揺れる米国世論を象徴しているならば、戦争可否の意思決定に参画する"資格"と力を持たない同盟国の住民の1人として、寒々としてくる。

 ムーア氏の著作ではないが、『アホでマヌケな日本人』と、後々まで語り継がれることがなきよう、今回の戦争を契機に、封印されてきた日本の安全保障政策について、じっくり再考してみたい。「日米協調」という名前の対米追随と、「多国間協調」による対話路線―。少なくとも、どちらに戦略の重きを置くべきかは、すぐに答えが出るような気もする。

 
(H15/4/2記)


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