☆ 奴雁 ☆
〜日銀総裁とリーダーシップへの期待〜


奴雁(どがん)―。日本銀行の戦後史における名総裁の1人、前川春雄氏が好んで使った言葉である。雁の群れの中に、首を伸ばして周辺を見張っている一羽がいる。この群れのリーダーかつ監視役の一羽を「奴雁」という。経済と金融システムの安定を旗印とする日本経済の「奴雁」が日本銀行そのものといえよう。福井俊彦新総裁(3月20日就任予定)の下に始動する日本銀行は、デフレ経済という難局の中で、真のリーダーシップを発揮できるか?伝統的金融政策の発動余地、複雑に入り乱れる金融政策への期待・・・まさに「海図なき航海」が続く*****


■ 日銀の物差し、日銀への希望

 「奴雁」たる日銀総裁のリーダーの資質と徳操が、日本の金融政策を決定づけ、経済を左右してきたことは歴史が示す通りだ。だが、残念ながら、「奴雁」としての重責を遺憾なく発揮するための環境と条件が、日銀と総裁に与えられてきたとは、言い難い。常に、各方面からの雑音に近い外圧に晒されながら、意思決定に臨むパターンが繰り返されてきた。

 現在の日銀も例外ではない。確かに、新日本銀行法(98年度施行)の下では、政府からの金融政策の独立性が保証されている。政策変更も、日銀総裁、副総裁2人と6人の審議委員の多数決で決定する。しかし、政治、社会、経済各面での政策要求に対し、時には闘い、ある時は均衡を図る資質が、日銀総裁に求められるのは今も同じだ。つまり、1億2000万人の「通貨の番人」として、「希望」を担う―。それが日銀総裁の姿だ。

 が、「希望」という"物差し"は国民各層・産業界各分野で異なり、日銀の金融政策の"物差し"とピタリと一致することは稀だ。むしろ、180度異なる場合が大半である。米FRB(連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長はかつて、中央銀行の役割をパーティーに喩えている。今が盛りの佳境に突入した時にパンチボールを引き下げ、「お開き」の宣言をする「嫌われ役」が、中央銀行だという。神話の世界で崇め奉られるグリーンスパン議長のような中央銀行総裁は歴史上、稀有の存在だ。セントラルバンカーの多くは毀誉褒貶のうち、毀と貶の評価に塗れ去っていくのが常で、金融政策の実績評価は後世の史家に委ねられることが大半である。

■ 日銀の技芸は神業の領域に突入

 金融政策は、金利の上げ下げ、通貨供給量の多寡という風に、素人目には単純にも見える。それだけに、経済に異変が生じた時に、金融政策の変更を求める声が台頭し易く、列島を駆け巡る。政策変更手続きには、国会での審議・承認といった民主主義的な手続きから独立しているが、政治家は安直に、「日銀の独立」の趣旨を違えて、金融政策にすがりつこうとする。しかし、古今東西、中央銀行の金融政策に政治が介入した例の多くは、いずれも悲劇的な結末を招いている。

 金融政策はアート(技芸)である―。『平成の鬼平』こと三重野康元総裁が在任中に講演の中で発した言葉だ。日銀の扱う政策手段の選択とタイミングでは、その時々の経済・市場動向、金融システムの状況、政治状況、国際環境―錯綜する複雑な「連立方程式」を、的確に判断する能力が試される。まさにアートの世界だ。金利水準がゼロとなって、政策余地がナノレベルにまで縮み、伝統的な金融政策が限界を露呈している現状では、素人の想像を絶する"神業"に近い技芸が求められる。

■ 「奴雁」の「奴雁」

 日銀元理事のエコノミスト、吉野俊彦氏は日銀総裁の7条件を著書の中で掲げている。@政府に対し強力な主張ができる人A民間金融界と広く接触のある人B民間企業の実情を知った人C消費者の立場でものを考えうる人D学者やエコノミストの意見を尊重する人E日銀の内部機構を活用できる人F海外の金融当局と直接語り合える人―。福井新総裁は7条件に照らしても最適格者であり、金融政策という名の「技芸」においても、当代随一のセントラルバンカーであることは多くが認める(筆者自身、その1人である)。「7条件」の中でも、福井総裁体制の日銀に求められるのは、神業を駆使すること以上に、視野狭窄症に陥った政府、経済界に向かって、あるべき政策、指針について通貨・金融システムの番人として積極的にシグナルを送り続けることだろう。

 国内産業に加速する空洞化現象と後れをとったIT(情報技術産業)産業を始めとする新規市場の育成―。現在のデフレに伴う問題の多くが、金融政策の射程から外れた難題だ。日銀と政府に、さまざまな「希望」を託さざるを得ないのが現実の姿であるとしても、「希望の物差し」を振り回しても、金融政策の「技芸」にとって無益な雑音にしかならない。ここは、「希望」は「奴雁」に託し、他を省みることなく自らの問題解決に邁進するのが、デフレ時代の最善の生き残り策だろう。及ばずながらも、「奴雁」の天敵でもある永田町、霞ヶ関の不穏な動きを含め「奴雁」の「奴雁」として監視することに専念することにしたい。(H15/3/1)

(H15/3/1記)


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