☆ ビューティフルマインドと日本の危機 ☆


 「夢ではなく現実であることを気付く場所が・・・ここ(頭)ではなく、ここだとしたら・・・」
天才数学者のジョン・ナッシュの妻はこう語りかけながら、ナッシュの胸に手を置く。2002年度アカデミー賞に輝いた「ビューティフル・マインド」の1シーンだ。

 数学や経済学と無縁な人間でも、「ナッシュ均衡」 「囚人のジレンマ」という言葉を一度は目にしたことがあるかもしれない。国際政治から、国内の派閥抗争、企業の行動パターンといったミクロ経済学。現実の世界のありとあらゆる分野の研究に浸透したナッシュの理論は、ゲーム理論の世界で「協力」の仕組みを精緻化した。

周囲を見渡して欲しい。国内経済改革や不良債権問題をめぐる首相と改革反対勢力の駆け引き、現在進捗中の拉致問題を含めた日朝外交交渉と、北朝鮮核開発での米ロ中そして韓国の力学。「裏切り」か「協力」か・・・。各国、各行為主体の社会行動を分析するゲーム理論によって、すべての現象の説明と予想が可能だ。だが、理論がいかに精緻化しているとはいえ、あくまでも理論は理論であって、現実の世界にそのままあてはまるほど、世の中、単純ではない。

ところが、多くは、高度な理論を知らずとも、ゲーム理論を無意識のうちに頭の中で応用し、相手の行動を予測し、自分のとる行動を選択しているから不思議だ。まさに、現実と夢の世界の狭間をさ迷う精神の総合失調症(分裂症)を患っているかのうようだ。

実話をもとにした冒頭の映画のシーンは、総合失調症と闘うナッシュを妻が勇気付ける場面だ。総合失調症患者の6、7割は幻覚を克服できずに苦しみ、そして死に導かれるという。文字通り夫と壮絶な闘いを繰り広げるナッシュの妻は、何が現実か、そしてそれがベストかどうかは、頭の中の思考で判断するものではなく、心で判断するものだ、とナッュのみならず観客に語りかける。

 しかし、「心」で考えると、たやすくいうものの、これがまた厄介な問題だから、始末に終えない。そもそも「心」などと軽軽しくいうのが、憚られるし、眉唾モノの響きすらする。やや旧聞に属するが、経済担当相が小泉内閣発足時に、「クール ヘッド、ウォーム ハート」と、経済政策の心得を抱負として語ったことが伝えられたが、この間、「クール ヘッド、ウォーム ハート」その両者を感じさせる政策がどれだけ具体化できただろうか。

 外交交渉でも同様だ。北朝鮮拉致被害者家族に目一杯、同情を寄せる風情をマスメディアは醸しながら、ついには、被害者を「北朝鮮に帰さない」という、見方を変えると“逆拉致”とも取られかねない政策を政府に促し実現させた。その是非はともかく、拉致被害者家族の問題、理屈で考えるほど現実は単純でもなさそう。そうした貧弱な「心」に触発された国家間ゲームに翻弄される家族も悲惨だ。頭の中で作り上げた「暖かい心」で、計算を尽くす現代人の悲しい性を感じるが、これも筆者の考えすぎなのだろうか?

 人は進化の過程で、本能的に心で感じ、そして行動する能力を低下させてきたという。心理学の通説でもある。幼児が教えられずとも、身の不安を感じ母親を求め泣き叫ぶが、大人は頭の中で理性によって反応し行動する。その理性の限りを尽くした上での反応が、国際舞台の「裏切り」や「脅し」だったり、国内の利益集団をバックにした「妥協の産物」とも受け取れる「金融システム安定化策」を始めとする「改革」と、先送りを上塗りした「デフレ対策」だとしたら、空しい限りだ。

 「私は数字を信じてきたが間違っていた。道理に結びつく方程式や理論もそうです。・・・美しい精神を持つことはいいことかもしれない。しかし、美しい心を発見することの方がより恵まれているかもしれない」。ナッシュのノーベル経済学賞受賞式での言葉だが、危機的な状況といいつつ、現実の危機と幻想の狭間で揺れる日本と日本人は、もっとも恵まれない世界のただ中に置かれているといえるかもしれない。

(H14/12記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.