時代の転換期を予兆させる出来事に事欠かない毎日が続き、2004年も終わろうとしている。この1年を適当な言葉で総括してみると、「主役交代」の一語が頭の片隅に思い浮かんだ。 市場原理を重視し「勝ち組」「負け組」という陰惨な言葉で、分類する手法には、いささか食傷気味の感がする。目の前で繰り返される変化は、そもそも勝ち負けの二分法で特徴づけられるほど単純ではなさそう。プレーヤーの雌雄が決するだけでなく、勝負の土俵そのものが従来の丸から四角に変わったかと思えば、足元の地盤がぐらぐらとするような浮き沈みが鮮明となっているのが今の時代のようだ。 戦後の流通革命の申し子と言われてきたダイエーの産業再生機構入りが決定。日本のリゾート産業の先頭集団を形成してきたコクドは、保有する西武鉄道株の東証上場基準違反が発覚、グループ大再編に向かった。球団を保有していた両社の動きと対を成すように、日本プロ野球界にIT企業が新たな主役として浮上、新規参入でシノギを削る。80年代から90年代にかけ日本の家電メーカーが輝きを放った世界のAV機器市場にも変化がみられる。アテネ五輪需要の追い風を背にデジタル家電で活況を呈したとはいえ、日本の電機メーカー大手10社(03年度営業利益率2.2%)と、韓国サムソン(18.2%)、アメリカのインテル(16.3%)、IBM(37.2%)との格差は埋めがたいほどに開いてしまった。これもまた主役交代が歴然な分野だ。かつて、商品開発で他社を圧倒したソニーが、得意の技術開発が出遅れ、不振が長期化する動きなどは、まさに時代の変化を映す象徴だろう。 アジア地域経済に目を転じても、主役交代は著しい。アジア通貨危機後の1998年に発足した「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓)」の会合は、2005年の「東アジアサミット」に格上げが決定。東アジア共同体に向けて第一歩を印したとマスコミは騒ぎたて、これで東アジアの政治経済の重心は、中国に向かうのが必定(英FT、04年12月2日付)とも。中国が将来、アメリカに対抗するための地盤が“東アジア”に形成されようとしている(ワシントンポスト、04年11月30日付)との見方もある。その可否はともかく、かつての構図は様変わりした。日本がアジア経済の先陣を飛翔し、ついで韓国、台湾、香港、シンガポールのNIES(新興工業国・地域)、そしてASEANが続き、最後尾に中国が続いた。墨絵で描かれた雁の群れの掛け軸を見るかのような雁行形態の通俗的な解釈がかつて人口に膾炙したが、この図式も一変したというのが、もはや衆目の一致する見方となった。 数年前なら、初めて挫折を経験した軟弱なエリートのように、主役交代に直面した日本企業と産業界は、極度の悲観に陥りオロオロするところかもしれない。だが、「モノづくりで世界一」、「アジアで一番」という、つまらないエリート意識など、この際、大胆に捨て去る方がいい。「そんな自家撞着的な驕りはすでにない」と、鼻で笑うものもあるかもしれない。本当にそうか?普通の国力に済し崩し的に転落する流れに棹さすかのように、狭隘なプライドが新保守主義に傾斜する。首相の靖国参拝問題と北朝鮮経済制裁を大衆の過半が支持するのは、惨めな転落エリートの意識と表裏一体をなす例証となる事例だろう。 日本の経済規模、狭隘な国土と天然資源の海外依存、縮小と高齢化が同時進行する人口規模、持続不能な国地方の長期債務残高と低下する貯蓄率−。自分の姿をじっくり観察すればいい。“主役交代”著しい世界にあって、求められるのは等身大の発想。にもかかわらず、“新しい日本”という自己認識さえもふらついたままでは、主役の座を代わるだけではなく、脇役すら務まらず、舞台から退場を余儀なくされる。たかが脇役などと侮る勿れ。されど脇役である。むしろ、主役だけのドラマなどこの上なく陳腐でつまらない。名バイ・プレーヤーとして存在感のある配役があって、ドラマは光り輝き見る人を引き付ける。異彩を放つバイ・プレーヤーこそ高い技能と知恵が必要なのだ。上述したIT産業にしても、世界のトップではないが、10社が層の厚い市場を形づくり、アメリカほどではないソフト、コンテンツ産業が存在する。そう悲観したものでもないらしい。脇役の素養は十分にある。 国際政治で“アメリカのプードル”と冷笑を買い、雁行形態型経済の先頭を飛び続ける幻想を抱きながら、実は鈍重なアホウドリのような姿をさらすのも惨めなものだ。落ちぶれた人気歌手が場末のキャバレーで歌う姿はこっけいでもあり物悲しい。主役からの転落の危機に煩悶するよりは、あえて名脇役としてグローバル経済と政治の舞台に留まればいい。ただし、ごまかしだけは禁物。ルールとガバナンスを無視したプレーヤーは、脇役どころかセリフのないその他大勢の役者にも登用できないのだから。04年の主役交代の教訓である。 |