☆ 目指せ、哲!“愚かなノーベル賞” ☆


 企業経営は所詮、カネ儲けであって、カネ儲けが人を惹きつけるほどに“面白い”から、起業家は苦しみつつなお働く−。ある著名な経営者の取材でかつて、こう悪態を吐いたことがある。若気の至りとはこのことかも。虚業の世界にどっぷり浸かってきた人種にありがちな思い込みかもしれない。
 にもかかわらず、くだんのカリスマ的オーナー経営者は、愚生に“ひねくれもの”といいたそうな表情をみせつつも、こちらの悪態に耳を傾け丁重にもてなしてくださった。冒頭の発言に今、手を加えるならば、「カネ儲けは人を惹きつけるほどに“面白い”。それで名を成す人間はビジネスの中の面白さと楽しみを見出し、夢を賭けた偉人」なのかもしれない。ところが、ビジネスの中の“面白さ”に愉悦を見出すスケールの大きなビジネスが、このところ日本の産業界に少ないのは気のせいか。大リーグで活躍するイチローを例にとるまでもなく、目標に向って精励刻苦する姿は、確かに日本人の評価すべき側面だ。そうした生真面目さの中に、ささやかな喜びを見出すのも日本人の日本人らしさでもある。

 例えば、ノーベル賞のパロディ版「イグ・ノーベル賞」(愚かなノーベル賞)。井上大祐氏が「カラオケを発明し、人間が互いに寛容になる新しい手段を提供した」功績が認められ、2004年の平和賞を受賞した。「愚かなノーベル賞」とはいえ、名門ハーバード大学傘下の選考委員会の下で、論文審査を含む厳正な審査を経た「本物の研究」が対象になる賞だ。日本人の受賞はこれで三年連続。井上氏は十人目の受賞者。「足の匂いの原因となる混合物の解明」(92年資生堂研究センター)、「地震と尾を振るナマズの研究」(94年気象庁)といった学術研究から、「浮気検出スプレーの開発」(99年セーフティ探偵社)、「犬と人間の言葉を自動翻訳するデバイス開発」(02年タカラ社ほか)等々。テーマを聞いただけで、わくわくするような楽しさが込み上げてくる研究成果が目白押しだ。  今回、受賞の栄誉を手にしたカラオケしかり、ビジネスにつながる独創性というものは、人間社会の楽しみとどこかで結びついているものではないか。大手企業の研究開発に携わる人は判で押したように、「人のやらないことをやる!」と血道を挙げる。どうも、供給サイドに偏った紋切り型のスローガンに思え、なじめないのは自分ひとりだろうか。本来、「人のやることを率先してやるのが企業の研究開発」ではないか。「人がやらないこと」や「人の発想から逸脱」したものに、追随者が出現して新しい市場が生れるとは想像しがたい。

 その意味では「人の喜び楽しさにどこかで結びつく発想」こそ、経営に不可欠なキーワードなのかもしれない。喜びも悲しみも人の根本の感情に国境もなく、日本型もアングロサクソン型といった人種の差もない。今から33年前、神戸のクラブでひっそりと産声を上げた8トラックテープ式のカラオケは、その後、燎原の火のごとく日本全土に広がり、レーザーディスクカラオケ、通信カラオケと進化。全世界の人に、自己満足を満たすと同時に「人々が互いに寛容になる手段」として定着。まさに、日本人の夢と技術が一体化した数少ない日本発の文化だろう。同じように、カネ儲けの偉人らは戦後、町工場で開発した製品をボストンバックに詰め込み、少ない外貨割り当てで心細い想いをしながら、海を渡りセールスに飛び込んだ。そんな夢とロマンがあった。

 マネジメントにも共通点があるのでは。米国のビジネススクール教材のような資料からだけでは、変革と“楽しい経営”は生れない。90年代から続いた閉塞感を脱しつつある現在、日本でもその分、精神的な余裕も生れつつあるのだろう。経営者然とした?里見哲さんでも誰でも、“楽しいマネジメント手法”で、「愚かなノーベル賞」を目指してくれないか…。密かな期待を抱くのは、“ひねくれもの”素人のゆえの発想か。

 
(H16/10/7記)


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