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AIが人類を滅ぼすと警告する者が増えている。AIがこのまま進歩し続けると遠くない将来人間より遥かに高い知能を持つ存在(ASI)になる。そうなれば、人間はASIを制御できなくなり、ASIに滅ぼされる。こんなシナリオを語る者がいる。 確かにその可能性は否定しない。しかし、この議論には重大な欠陥がある。それは知能というものが極めて一面的に捉えられていることだ。ここでは、知能とは、建築物や機械の設計、ソフトウェアの設計と作成、数学や科学の問題解決、自然言語処理、経営戦略や政治戦略の策定、囲碁や将棋のような知的ゲーム、ビッグデータ処理、パターン認識など、目的達成のための道具としての知的な機能だけを意味している。 しかし、知能にはもっと違う側面が含まれている。それは人間以外の生物を含め他者の生命と権利を尊重するという機能だ。人間はたくさんの生物を自分たちの便益のために絶滅させてきた。しかし、近代に入り、動物の権利が広く認められるようになり、20世紀以降は動物以外の生物にも生存の権利を認める運動が広がっている。もちろん人間に有害な生物は駆除するしかない。それは全ての生物に共通する行動で自らの種を保存するために天敵を排除することはやむをえない。だが、不必要に生命を害することは避けなくてはならないとする思想は確実に人類共通のものになろうとしている。 AIが人間を超えたASIとなるためには、他者の生命と権利を尊重する存在になる必要がある。そして、そうなれば、ASIが人類を滅ぼすなどということはありえなくなる。人間の棋士はタイトル戦で対戦相手が強く勝ち目がないと思っても相手に毒を盛るようなことは決してしない。AIがいくら人間よりも賢くなっても、生命ある他者に毒を盛るような行動をとる限りは、それは真の意味でASIではない。強いて言えばそれはASIではなく人工悪魔的知能(ADI)でしかない。 要は高い道徳観をもつAIをどうすれば開発できるかなのだ。そして、その意味でのASIを作ることができれば、ASIは決して人類を滅ぼしたりはしない。人間はASIと共存し今より素晴らしい世界に生きることができる。但し、それは容易ではない。道徳は人間が有限の寿命を持ち、かつ一回性・唯一無二性を有する生命体であることに根差している。他の動物にも人間ほどではないが道徳性に類するものを見出すことができる。道徳と生命は密接にかかわりあっている。一方、AIはASIだろうがAGIだろうが機械であり生命を持たない。生命を持たない存在に果たして道徳を根付かせることができるだろうか。だが、AIと人間が共存するためには、完全を期すことは無理でも道徳的規範に制約されるAIを生み出す必要がある。 了
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