☆ 文化とは何か ☆


 右派と呼ばれる人たちは盛んに「日本の文化」という言葉を口にする。そして左派がその文化を破壊していると非難する。

 日本の文化とはそもそも何なのか、それは変更することが許されないものなのだろうか。おそらく世界中どこを探しても不変の文化などは存在しない。右派の人々は男系天皇がそれだという。しかし人類史の始まりから天皇が存在した訳ではない。天皇が日本を作ったのでもない。天皇は日本と呼ばれる共同体で生まれ育まれてきた存在でしかない。それが数多の危機を乗り越え現在まで存続してきたことは認められる。しかし、どこかの時点で滅んでいたとしても不思議ではなかった。鎌倉時代から江戸時代まで日本の文化を実質的に支配していたのは武家や町人であり天皇を長とする朝廷ではない。明治維新は天皇と皇族を残したが朝廷という権力機構は廃止した。戦後の天皇は国民の象徴となり国政上の権能を失い法の支配に服する存在になっている。

 文化は時代と共に変わっていく。完全に不変あるいは不可侵の文化など存在しない。ただ歴史の中にウィトゲンシュタインの言うところの家族的類似性を見出すことができるに過ぎない。戦後の日本と戦前の日本には似たところがある、昭和と大正には似たところがある、大正と明治には似たところがある、それ以前も同じ、だから全部ひっくるめて日本と呼ぶ。それだけのことで、すべてに共通する不変な文化などは存在しない。

 文化継承の要となる共同体の構成員も常に変化している。共同体から外に出ていく者、外から入ってくる者がいる。外から来た者や外に出て戻ってきた者は共同体に新たな文化の種を持ち込む。そこに新たな文化が生まれ、共同体の伝統は変化していく。こういうメカニズムは近親交配を避け共同体を健全に維持する自然の摂理と言ってもよい。文化を超歴史的なものと考え固執する態度は文化を健全に維持するものではなく、むしろ荒廃させる。宗教原理主義的な共同体でも宗派の教えとその解釈は常に変化している。

 日本人は明治維新まで皆揃って着物を着ていた。しかし明治時代に入り洋服が普及しだし、今では街を歩いても着物姿の者を目にすることは少ない。ところが、日本文化を重視する右派で、この事実を日本文化の破壊と捉える者はほとんどいない。着物は日本の文化ではなかったのか、洋服を取り入れた明治時代の人々は軽率だったのではないのか。そんなことはない。維新以降、社会活動が活発化した日本人にとって着物よりも洋服の方が動きやすく便利だった。だから普及していった。時代に合う姿の方が伝統よりも優先されたのであり、それは合理的な選択だった。右派もそのことを暗黙裡に承認しているのであろう、洋装化したことには不平を言わない。

 時代にそぐわなくなった習慣や伝統を日本固有の文化と言って固執するのは愚かで、日本の発展の阻害要因になる。伝統的な文化に敬意を払いながらも、いま何が日本に相応しい文化なのかを変化を恐れることなく思索し遂行することこそが文化を大切にすることになる。


(2025/9/30記)


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