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半世紀前の1975年、筆者は20歳、大学3年生だった。電子回路、量子力学、偏微分方程式などと格闘していた記憶が蘇る。友人との付き合いは楽しかったが、試験を思い出すと冷や汗がでる。神保町の古書店で当時の教科書を見つけると、懐かしさのあまり衝動買いをしたくなる。もちろん読んだところで理解できず能力の衰えを痛感して落ち込むだけなのでたいていは買わない。とは言え、立ち読みばかりでは書店に申し訳ないので時々購入するが、予想通り通読できず積読になる。 半世紀前のできごとでよく覚えているのが、ベトナム戦争の終結とスト権ストだ。ベトナム戦争は同年4月、ベトナム共産党の勝利で終結し南北統一ベトナムが誕生した。NHKの「ニュースセンター9時」のキャスター、磯村尚徳氏(故人)が南ベトナム陥落を「ベトナムが解放されました。共産主義者に支配されることになったと嘆く人もいるかもしれませんが」というように伝えていたと記憶する。皮肉なことに日本ではベトナム戦争終結の数年前から、50年代以降日本の言論界、労働運動や大衆運動で大きな勢力を誇っていた共産主義など左翼の後退が目立つようになっていた。そしてベトナム戦争終結で反戦運動が旗頭を失うことになり左翼の退潮が決定的になった。 同年11月末、スト権獲得を目指し国労や動労(当時、国鉄の労働組合は複数存在したが、急進的で左翼色が強い組合が国労と動労だった)を中心に公労協が大規模なストを断行した。このストで都内の国鉄はほぼ10日間全面運休し大学も休校となった。当時、心情サヨクだった筆者はストを支持していたが、世論は厳しく政府ではなく労働組合側を非難した。結果、スト権奪回は失敗に終わり、公労協はその後世論の支持を失い組織内でも対立が目立つようになり急速に力を失うことになる。そして中曽根政権下で87年、国鉄は分割民営化され、国労動労は事実上消滅した。それは共産主義など左翼色の強い労働運動の終焉を意味していた。 戦後政治は、ごく一時期を除いて、敗戦直後は吉田茂率いる自由党が、55年の保守合同以降は自民党が一貫して支配してきた。しかし、半世紀前までは言論界ではマルクス主義など左翼思想やリベラル思想が主流派をなしており、国民の中にも、多数派にまでは至らなかったが、左翼やリベラルを支持する者が少なくなかった。若造だった筆者もその一人で、マルクスなどの著作を読み漁り、一端のマルクス主義者面をしていた時期もあった。今や時代の潮流は大きく変わった。立憲民主党を左翼だと言う者がいるが、半世紀前を知る者としては立憲民主などは精々のところ中道で左翼にはほど遠い。当時ならば、立憲民主代表の野田などは中道ないし中道右派、国民民主の玉木や維新の吉村などは中道右派または右翼と呼ばれていただろう。今では左翼は日本共産党を除いて消滅した。その共産党も退潮著しく左翼色を薄めることに躍起になっている。 国民の意識を含めて右傾化が進んだことがよいことなのかどうか、必然なのか偶然なのかは筆者には分からない。ただ半世紀前が分水嶺だったことは確かに思える。 了
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