☆ 悪夢か現実か ☆


 ジョージ・オーウェルは『1984年』で悪夢のような世界を描き出した。そこでは世界は三つの超大国に分割され、各国とも独裁体制が敷かれ体制批判をする者は消される。これは空想に過ぎないのだろうか。

 プーチンのウクライナ侵攻、習近平の独裁体制強化、トランプの一方的な関税政策、これら一連の出来事を見ていると、オーウェルの寓話が単なる非現実な空想ではないと思えてくる。

 『21世紀の資本』のピケティや『21世紀の啓蒙』のピンカーなどの楽観的リベラリストは心配することはないという。「百年前を思い出せ。百年間で世界は飛躍的に民主化され、人権が擁護されるようになった。短期的、局地的に民主や人権が後退することがあっても潮流は変わらない」と楽観主義者は説く。だが直近の百年がこの先の百年にも当て嵌まる保証はない。それは楽観主義者の希望的観測に過ぎない。百年間の民主化が百年を待たずして台無しになる可能性はある。

 技術の進歩は社会の改善に繋がることが多い。しかし悪化させることも少なくない。百年前は超大国でも人類を全滅できるほどの軍事力を持つ国は一つもなかった。国民全員を厳重な監視下に置く方法もなかった。だが、今は米国とロシアが人類を全滅できる規模の核兵器を保有している。中国がその仲間入りする日も近い。ITとAIの進歩は全国民を厳重な監視下に置くことを可能にしている。

 街中に監視カメラが設置され防犯と犯罪捜査に役立っている。近年は監視カメラの映像が手掛かりになり犯人が速やかに逮捕される事例が増えている。それが防犯に役立っていることは間違いない。だが、それが恐るべき監視社会へ繋がる可能性もまた否定できない。

 10年くらい前まで筆者は次のように考えていた。「至る所に監視カメラを設置し、ネットで流通する全てのメッセージを監視し、それらにより全国民の行動を把握し不穏な動きがあれば直ちに警察権力が出動する。そんな社会を作れるはずがない。なぜなら監視者を国民の数の数倍以上に増やさない限りリアルタイムで実効性のある監視など不可能だからだ」。ところがスマホやAIの進歩で状況は変わった。人が監視しなくても、疲れ知らずで不注意によるミスもしないAIが監視し、危険又は不審な人物や組織を速やかに判別し摘発することができる。

 こんな場面を想像してみよう。散歩していると綺麗な女性に出会う。思わず二度見する。そのとたんにスマホに次のような警告のメッセージが入る。「あなたはストーカーまたは性犯罪の加害者になる可能性があります。同一の行為が繰り返された場合、あなたは警察から警告を受け、最悪逮捕されることがあります」。メッセージを受けた者は驚き、当分の間、下を向いて歩き出来るだけ女性を見ないようにする。こういうシステムができれば、ストーカー行為や性犯罪が減ることが期待できる。この方法はあらゆる種類の犯罪抑止に応用できる。しかし防犯に役立つにしても懸念すべき点がある。人々は皆揃って摘発を恐れ陰鬱な顔をして下を向いて歩き互いに挨拶もしない。みな孤立し頼りになるのはネットとAIだけ。そして、その先に居るのは顔の見えない独裁者。このような悪夢が現実化する恐れはないだろうか。

 杞憂に過ぎない、そう思いたい。だが可能性は否定できないと思う。


(2025/4/7記)


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