☆ 幸せとは ☆


 この季節、土日は人でごった返す井の頭公園も平日は訪れる人は少ない。井の頭池の周りをのんびりと散歩するにはもってこいの時期だ。池を色とりどりの水鳥たちが日差しを浴びながらゆっくりと泳いでいる。ときおり潜っては浮かび上がる。水草か小魚を食べているのだろう。それとも遊んでいるのだろうか。随分と長く潜っていて溺れてしまったのではないかと心配することがあるが、離れたところでちゃんと浮かび上がっている。鳥たちが潜る時と浮かび上がる時、円を描いた波が現れ水面をゆっくりと広がっていく。波は岸辺で静かに姿を消す。

 ベンチに腰を下ろす。のどかだ。目で鳥を追っていると心が癒される。鳥たちは何を考えているのだろう。特段、何も考えておらず、日差しの中、生を楽しんでいるに違いない。鳥は明日のことで気に病むことはないし、昨日のことで後悔することもない。

 将来の目標を決め、目標を実現するための合理的な計画を策定する。計画を実行し、問題が生じれば計画を適宜修正しながら前進していく。そして目標を達成する。これが人の生きる道だと私たちは子どもの頃から教え込まれている。目標もなしにのんべんだらりと生きている者は軽蔑され非難される。

 確かに、人々がこういう考えのもとに行動してきたことで文明は進化してきた。しかし、こういう考えこそが人を不幸にしている。何を目標にしたらよいか分からない、計画が立たない、計画通りに事を運べない、目標を達成できないと人は悩み苦しみ、周囲からは非難される。計画を実行するために何の恨みもない者と激しく争わなくてはならないこともある。そしてその争いで生まれた憎悪と怨念で一生苦しむ者もいる。目標・計画・実行・達成の合理的プロセスは文明を進化させたが同時に人の不幸を無限に再生する。鳥たちには目標も計画もない、だから不運はあっても不幸はない。不運があってもそれは自然の出来事と受け容れる。

 あらゆる宗教は救済を求める。救済とは平穏な境地に達することを意味する。天国や極楽には目標もなければ計画もない。だから争いもない。マルクスもケインズもジョン・レノンもそういう世界を望んだ。親鸞は現世で苦しむ者たちに必ずそういう世界に行けると励ました。

 感傷に浸っているうちに日が暮れてきた。のどかな一日は終わった。帰路につき無数の人が行き交う駅前に差し掛かったところでリアルな今が蘇る。目標・計画・実行・達成のプロセスに駆り立てられているたくさんの人たち、その顔を見ると思う。鳥たちに比べて人は何と幸せから遠い存在なのかと。


(2025/2/16記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.