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「神様」思わず、この言葉が口をついて出た。日頃から無神論者を気取っていたのにこの様だ。「困ったときの神頼み」この諺が如何に真実を語っているか痛感した。 夜中12時を過ぎた頃、急に星が見たくなって玄関を出て10メートルほど歩いた。物騒な世の中、出るときには鍵を掛けた。そして、暫く星を眺めて帰ると、何とポケットに入れたはずの鍵がない。身体中を触って探るが見つからない。窓はすべて閉まっている。玄関を開けなければ中に入れない。懸命に探す。幸い街灯がついているので真っ暗ではない。それなのに見つからない。自分の行動を一つ一つの細かい動作に至るまで思い出そうと努める。まず出るときに鍵を掛けた。そこまでは確実だ。鍵が自動で掛かるはずはない。オートロックなどという洒落たものは使っていない。そして門を開けて外に出て右に10メートルほど歩いた。左方向には行っていない。落とした範囲は限られる。落とした可能性があるところを隈なく探す。それでも見つからない。どんどん寒くなる。よりによって真夜中に星を見に外に出た己の愚かさを呪い、後悔の念に苛まれ、涙と震えが止まらない。時間も時間、ご近所の人たちはもう寝静まっている。起こす訳には行かない。頼みの綱はただ一つスマホだ。その気になれば110番、119番はできる。だが、夜間は緊急事態や救急の要請が多く、鍵がないから来てくれなどとは頼めない。頼んでところで鍵屋に連絡するか近所に頼めと言われるのがオチだ。また幾ら背に腹は代えられないと言っても古希にもなる大の大人がそんな情けない電話はできない。 募る寒さと恐怖で窮した私が思わず口走ったのが冒頭の言葉「神様」だった。日頃の不信心が祟ったのに、図々しくこの言葉を口にしたのだ。だが、その瞬間、玄関脇に生えた雑草の上に何かあることに気付いた。手を伸ばす。鍵だ!感極まって、また「神様」と心の中で手を合わせる。 不信心な者でも、神様は慈悲深く窮地に陥ったときにはお救いくださる。進化生物学者ドーキンスは「神は妄想だ」などと不謹慎なことを言うが、神様は人にはなくてはならない。筆者のような日頃無神論者である者にとってもだ。信仰は狂信的にならず、押し付けがましくならなければ、よいものなのだと悟る。愚かな私の信仰心は長続きしそうもないが。 了
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