子どもたちは月や星が大好きだ。大人も月や星を見て楽しむことは多い。筆者も夜ふと外に出て月や星を眺めることがある。星を見ていると心が癒される。これまでどれだけの数の者が星や月に慰められてきたことだろう。 天文学は数学と並んで最も古い体系的な学問だ。天文学も数学も実用的な目的があったことは間違いないが、発展の原動力は星や月、そして(裸眼で観察するのは危険だが)太陽への憧れだと思う。月や星、太陽はどこにあり、どのように運動しているのか?星への憧れは星を知ろうとすることに繋がる。そこから天文学が生まれる。天文学の進歩は数学の進歩とも密接に関わっている。両者はやがて現代文明の象徴的な存在である物理学を生み出す。 物理学の最も深遠で解明が難しい領域と言えば、宇宙論と素粒子論が挙げられる。19世紀以降の物理学の驚異的な進歩は、様々な画期的な新技術を生み出し現代文明を支えている。その一方で、驚異的な進歩の結果、宇宙論や素粒子論は日常生活や産業活動とは縁が遠いものとなっている。素粒子も宇宙も現代においては研究には莫大な資金を要する。 莫大な資金を投じて実用性の乏しい研究を行うことには異論があっても不思議ではない。だが専門家以外の一般市民でも宇宙研究や素粒子研究に多額の資金を投じることに寛容な者が多い。ハイパーカミオカンデの建設が現在進められており27年の運転開始を予定している。建設費は800億円に達する。だが反対意見はほとんど聞こえてこない。ハイパーカミオカンデの目標は、三種類のニュートリノ質量の順番の決定、CP対称性の破れの測定、宇宙ニュートリノの観測、陽子崩壊の検出などだが、いずれも直ちに産業や日常生活に役立つものではない。そもそも、何のことか分からないという者が多いだろう。 このような、ある意味、浮世離れした研究に多額の資金を投じることが容認される背景には、人類共通とも言える星、月、太陽など宇宙への憧れがある。その証拠に宇宙はSF小説や映画の最大の題材になっている。映画史上、最高傑作と謳われるスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』には人類の宇宙と宇宙の神秘への憧れと畏敬の念が見事に表現されている。 理屈はともかく、夜空に星を眺めていると本当に心が癒され時を忘れる。夜空と星のある世界に生まれたことを心から幸せに思う。 了
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