☆ 民主的な共産主義は可能か ☆


 71年にリリースされたジョン・レノンの名曲『イマジン』にこんな一節がある「所有なんかない、飢える者も欲張りもいない、人類皆兄弟、世界を分かち合って生きている」。レノンは共産主義者ではなかったが、この曲が描き出す理想社会は共産主義だと言ってよい。50年代から70年代まで、共産主義を人類が目指すべき未来と考える者は少なくなかった。特に若者に多かった。

 今でも『イマジン』は愛されている。しかし共産主義を支持する者は激減した。国会に議席を占める政党で共産主義を擁護する政党は日本共産党以外ない。その日本共産党ですら共産主義を公言することはほとんどない。理由ははっきりしている。20世紀の共産主義が余りに酷かったからだ。旧ソ連・東欧の共産党政権は共産党特に指導者の権力を絶対化し人々の生命と人権を軽視した。共産党政権の政策に異議を唱える者たちは悉く弾圧された。経済的にも資本主義との競争に敗れた。中国は市場経済を導入し豊かになったが、依然として人々の政治的自由は制約されている。

 一方『イマジン』が今でも愛されていることは人々が資本主義に疑問を抱いていることを示している。しかし20世紀の共産主義の惨状から、人々は共産主義を資本主義に代わる体制として考えることができない。

 資本主義には限界があり、いずれ別の体制を選択しなくてはならなくなると考える者は決して少なくない。その場合、共産主義は有力な選択肢になる。しかし、そうなるには共産主義と民主・人権が両立できる体制を構想する必要がある。

 共産主義は私有財産制を否定する。しかし私有財産制は搾取に繋がる一方で権力への抵抗手段にもなってきた。成田闘争では成田の農民は土地の所有権を盾に国家権力に抵抗した。水俣病など公害事犯では被害者とその支援者は公害を垂れ流す企業の一株株主となり株主総会で経営者を糾弾した。私有財産が完全に否定されると人民は権力に抵抗する手段を失う。そうなると権力者が人民全体の利益という名目の下、批判者たちを自由に抑圧できることになる。またマルクスの時代とは異なり多くの労働者は私有財産を所有しており、それを放棄させようとすると抵抗は非常に激しいものとなる。

 これらの問題を回避するには共産主義に批判的な政党を含めた複数政党制と自由選挙による議会制民主制を導入し、かつ私有財産と自由市場を一定範囲で認める必要がある。だが、それでは共産主義にはならない。共産主義と民主・人権を両立させることはやはり容易ではない。少なくとも資本主義から共産主義への移行期にプロレタリア独裁が不可欠とする伝統的なマルクス・レーニン主義では不可能だろう。

 第一段階として複数政党制と自由選挙による議会制民主制、自由市場と私有財産制を維持しながら社会民主主義的な政策を実行し格差を是正しすべての人々を物心両面から豊かにする。そして、人々が自発的に私有財産など不要だと考えるような社会を作りだす。そして平和裏に共産主義に移行する。これであれば、共産主義と民主・人権は両立する。だが、現実には容易ではないと認めざるを得ない。民主的な共産主義は可能だが容易ではない。


(2024/9/7記)


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