労働組合の連合体である連合の会長が、岸田首相肝いりの「新しい資本主義実現会議」のメンバーに入っているのは嘆かわしい、労働組合のトップならば「新しい社会主義実現会議」を開催するべきだと言ったら、現役世代から呆れられた。「いまだにそんなことを言っている。オールド左翼は時代錯誤だ」と。学生時代は無責任な心情左翼だったが、いまは別に自分は左翼だと思っていない。だが、こんなことを言うと左翼だと思われるらしい。 半世紀前のことだが、学生時代、学友などと頻繁に「資本主義か共産主義か」、「自由主義か社会主義か」という話題で口角泡を飛ばして夜通し議論をしたものだった。だが、いまではそんな野暮なことをする学生はほとんどいないだろう。時代は変わった。当時は旧ソ連・東欧の共産主義国と米国・西欧の資本主義国が激しく対立していた。旧ソ連や東欧、中国など共産主義国が厳しい人権抑圧を行っていることはすでに広く知られてはいたが、マルクス主義を中心とする共産主義思想は人類が実現すべき未来の理想と考える者が、若い世代では多数派とまでは言わないまでも今とは比較にならないほど多かった。だが、旧ソ連・東欧の共産圏はあっけなく崩壊し、中国は改革開放路線を採用、その経済体制は実質的に資本主義へと変貌した。それによりグローバル資本主義の中で中国はもっとも成功した国家となり今や米国と並び世界経済を牽引している。この現状をみれば、「資本主義か共産主義か」などという議論は無意味だと思う者が増えるのもやむを得ない。「連合の会長が新しい資本主義実現会議のメンバーになって何が悪い」と批判されるのも無理はない。確かに自分は古いと感じる。 「資本主義か共産主義か」が真面目に議論されていたころ、並行して、日本では日米安保と自衛隊の合憲性についても熱心に議論されていた。筆者は当時一貫して自衛隊・日米安保違憲論者で両者の解消を主張していた。これに対して、「現実を見ろ、ソ連の支配下に堕ちたらどんなに悲惨なことになるか分からないのか」と反論する合憲論の友人と大激論したことを思い出す。だが、こちらも今では、論争のテーマになることは少ない。立憲民主党も(不本意なのだろうが)社民党も合憲論に鞍替えしている。共産党も原理原則としては違憲論だが、それを前面に出して政策を論じることはない。また政権に入った場合も、直ちに自衛隊と日米安保の解消を要求することはないと述べている。さらに、自然災害発生時の自衛隊の活躍もあって、学生時代と比較して国民の自衛隊への評価はずっと高くなっている。この状況では、なるほど、違憲・合憲論争は起きにくい。たまに起きても議論している者は筆者の同世代か上の世代が多い。 今の日本と日本を取り巻く環境を考えれば、これも致し方ないだろう。また、資本主義、自衛隊、日米安保の存在が半世紀の間、日本を悪くしたかと問われると、「悪くした」とは言い切れない。本音を言えば、「悪くも良くもしなかった」という答えになる。学生時代は「日本を悪くする」と主張していたのだから誤りを認めたことになる。 それでも、「資本主義か共産主義か」、「自衛隊は合憲か違憲か」というテーマは今でも議論する価値があるはずだ。第二次世界大戦後、世界の資本主義は大きく発展し世界の富を目覚ましく増進した。だが利益を追求することを本旨とする資本主義は格差を広げ環境を破壊した。それを資本主義の下で最終的に解決できるとは思えない。資本とは自己増殖する価値体であり、その原動力はあくまでも利益を追求することで、世界を良くすることではない。資本主義を制御することはできるが、資本主義と社会的公正や環境保全とを完全に両立できるとは信じがたい。共産主義は経済的な自由を制約し、私的所有と競争を排除することで経済や科学技術の発展を阻害する面がある。そしてそれがしばしば非民主的な政治体制へと繋がる。事実、旧ソ連・東欧などのかつての共産圏がそれを実証している。それでも、共産主義が多くの者たちが理想として描き出した社会であることは否定できない。ジョン・レノンの『イマジン』の三番目の歌詞を思い出してみよう。「想像してご覧、所有などない、欲張ることも飢えることもない、人類皆兄弟、すべての人が世界を分かち合って生きていく」こんな内容だが、これが理想の社会だと考える者は少なくない。だからこの曲はいまだに人気がある。そして、ジョン・レノンが綴る社会は共産主義に極めて近い。ニクソン大統領時代、ジョン・レノンは危険人物として当局からマークされていた。自衛隊と日米安保の合憲違憲論争も同じだ。憲法を守り自衛隊と日米安保の解消を主張すると「お花畑論者」と冷笑される。だが、戦争のない世界、兵器が必要ない世界、国を守るために安全保障条約など不要な世界、あらゆる外交問題が平和的な手段で解決される世界、それが理想だとほとんどの者が考えると思う。これもただ実現可能性に疑問符が付くというだけの話しなのだ。現実を冷静に観察することは確かに重要で、それなしには何事も遣っていけない。だが、資本主義、戦争と安全保障、そして軍事力が不可欠な現状は決して変えることができないと考えることは正しくない。温暖化など地球規模の環境問題、パンデミックなどは世界が協力し、私的な利益や国益よりも全世界の人々の幸福を優先することなしには解決できない。新型コロナは致死率が低くワクチンの開発が短期間に成功したこともあり普通の病気の一つになりパンデミックは収束した。だが、より致死率が高く感染力も強い病原体が現れる可能性はある。そして人と物の流通がますます拡大することで、危険性はより高まっていく。環境問題は誰もただ乗りすることはできない。一致協力して解決するしかない。そのためには、共産主義と軍事力のない平和な世界が不可欠となるかもしれない。私たちは現実的に考えるだけではなく、理想を語る必要がある。もちろん、理想が共産主義や自衛隊・日米安保解消だけにあると考える必要はない。筆者のような高齢者は自分の理念にしがみ付く傾向がある。その点は素直に認め反省し寛容になる必要があると思っている。理想社会は共産主義だけではないのだから。 了
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