将棋の藤井聡太八冠の強さは際立っている。なぜそんなに他の者より強いのか。脳の構造が違う?いや、そんなに違うはずはない。だが、たとえば私が小学校一年生で、将来、藤井八冠を倒すべくひたすら将棋に専念しても、藤井八冠に勝てる日はこない。高校時代、将棋部の友人に毎日のように将棋の序盤の定石を教わり、詰め将棋を解き、テレビの将棋番組や将棋雑誌で熱心に勉強したが、ついに友人に一度も勝つことができなかった。それも平手ではもちろんのこと、駒落ちでも勝てなかった。その友人とて、プロ棋士には及ばず、普通の会社員になった。いくら私が小さいころから努力しても、藤井八冠を倒すどころかプロ棋士になることもできなかっただろう。 子どものころ、同じ町に日本人で二番目のノーベル賞受賞者である朝永振一郎先生が暮らしていたこともあり、物理学者に憧れ、数学が得意だったこともあり、将来は物理学者、それも理論物理学者を目指そうと考えた。中学生のころまではノーベル賞は無理でも物理学者になりそれなりの業績を残す自信があった。だが、高校でベクトルがすんなり理解できず、疑念が生じ、リスクを回避すべく大学では物理を選ばず、就職に有利な電子工学に進学した。だが夢を捨てられず、物理学の専門書を読み漁り大学院では物理を専攻しようと思っていた。だが、数学では複素関数論、物理では解析力学で躓き、物理学者としての業績など到底望めないことを悟り、諦めた。 語学が苦手で英語の授業は中学時代から苦痛以外の何物でもなかった。学生の頃は記憶力がよい方だったので、単語や文章の丸暗記で何とか試験は凌いだが、ネイティブと話せる水準には遂に達することはなかった。父親は商社マンで、英語で普通に外国人と話しをして、ビジネス交渉を纏め、英語で覚書や契約書をさらさらと書いていた。半分は父親の遺伝子を受け継いでいるはずなのに、筆者にはさっぱり語学の才能がなかった。 何が違うのだろう。脳の構造は天才でも、私のような凡人でも大差はない。脳細胞の数や細胞の配線も大きく違うとは思えない。特に血の繋がる父と私の脳はよく似ているはずだ。語学以外、数学や物理はむしろ私の方が得意で、家族思いの父は「ママが頭がよいから、お前は私よりも頭がよくなった。ママに感謝しなさい」とよく言っていたものだった。だが語学では父に到底及ばなかった。 この差はどこから生まれるのか?この問いに答えることができる者はまだいない。答えが分かれば、おそらく、その差を補う方法を発見することができるだろう。できないとしても自分の得意分野を見定め、その分野に進むことで世のため、人のため、自分のためになる。尤も何をやっても駄目だということが分かり絶望する可能性はある。 それにしても、不思議だ。大差ないのに大差ができる。僅かばかり細胞の繋がり具合が違うだけで、大きな差が生じるのかもしれない。だが、つくづく思う。将棋や物理学は無理でも、せめて父に似て英語くらいは得意になりたかった。街で道を探している外国人に出会うと、こそこそと逃げるような情けない姿を晒すことだけは避けることができたのだから。 了
|