☆ 文章は難しい ☆


 「私は彼とは大学時代からの友人でよく一緒に飲みに行っており、今でも家族ぐるみの付き合いが続いているが、彼の本心に気が付かなかった。」という文章を考えてみる。これは一つの文になっているが、三つの文あるいは四つの文に分けることができる。「私は彼とは大学時代からの友人でよく一緒に飲みに行っていた。今でも家族ぐるみの付き合いが続いている。しかし、私は彼の本心に気が付かなかった。」あるいは、「私は彼とは大学時代からの友人だった。よく一緒に飲みに行った。今でも家族ぐるみの付き合いが続いている。しかし、私は彼の本心に気が付かなかった。」と書いても、意味は同じになる。また、「私は彼とは大学時代からの友人でよく一緒に飲みに行っており、今でも家族ぐるみの付き合いが続いている。しかし、彼の本心に気が付かなかった。」と二つの文にすることもできる。

 どれを選択するか迷う。最初の文章は長すぎるが、4つに分けると短すぎて小学生の作文のような幼稚な感じがする。二つか三つに分けるのが良いと感じるが、どちらがよいかは微妙で、また句点で区切るのではなくカンマで区切る方がよいとも感じる。

 また、例文には曖昧なところがある。一緒に飲みに行ったのが、大学時代なのか、つい最近のことなのか、あるいは大学時代から今までずっと続いているのか、はっきりしない。「今でも家族ぐるみ・・」という文から、大学時代のことを指していると推測されるが、明確ではない。「大学時代にはよく一緒に飲みに行った」と書けば明確になるが、文章としては硬質な感じになる。

 文章は難しい。句読点の付け方だけではなく、表現の仕方も色々あり、選択を迷う。たとえば「飲みに行った」ではなく「飲み仲間だった」という表現でも意味はほとんど同じだが、後者の方が親密な感じがする。

 解説や報告では、簡潔かつ曖昧さがないことが第一になる。また余計な心理描写は避ける必要がある。しかし、文学となると、故意に長文にしたり、回りくどい表現を使うことがある。過剰とも言える長い心理描写や情景描写が効果的なこともある。漱石の小説などそれを強く感じる。いずれにしろ、どういう文章を書くか決めることは容易ではない。だが、この微妙なところにこそ、文章を書くことの妙味があると言える。


(2023/4/20記)


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