☆ 比較優位の原則 ☆


 リカードの比較優位の原則は、経済学の最も重要な成果の一つだろう。各国が生産性の高い分野に産業を特化し、貿易で互いに必要な財を入手する。これが最も効率がよく、すべての国が豊かになる。リカードをそう説く。この教えは市場のグローバル化を支持する理論的根拠になっている。しかし、筆者は、これを習った学生のころから、どうも納得いかないものがあった。

 この原則は、世界が平和で自然環境が安定していることを前提としている。戦争が起きたり政治関係が悪化したりすると、必要な財が買えなくなったり売れなくなったりする。巨大地震や津波、巨大な台風や洪水、大噴火、感染症の大流行など大規模自然災害で、必要な財が入手できなくなることもある。もし食糧を全面的に外国からの輸入に頼っていると、非常事態に国民の多くが餓死する恐れがある。食糧以外でも、生産に必要な資源、燃料、機械や半製品が輸入できなくなり生産が大きく減退することもある。

 転職は容易ではない。長く農業に従事していた労働者に、いきなりソフトウェア開発者になれと言われても無理だ。それは単にスキルの問題だけではなく、人格、とくに誇りの問題でもある。農業従事者として善い野菜や果物を消費者に提供してきたと自負し、事実、周囲から感謝され高く評価されてきた者が、未熟なプログラマと低評価されたらどうなるだろう。誇りは傷つき惨めな思いをする。それでも20代ならば、新しい仕事に馴染み、スキルを磨き、大きな成果を上げることができる。だが50を過ぎると難しい。人間は目的であり手段として扱ってはならないとカントは説く。しかし、比較優位の原則は労働者を手段として扱っている。

 環境を考えると、地産地消など物質循環をできるだけ地域で閉じるようにすることが望ましい。貿易には物の移動が伴いエネルギーを消費する。特に地球規模で物が移動する現代、貿易によるエネルギー消費量は巨大なものとなる。また廃棄物処理が国境を越えた大きな問題となっている。化石エネルギーを再生可能エネルギーで全面的に置換するとしても、運搬に必要な機材には大量の資源が必要で、資源開発や廃棄物で環境を汚染することが避けられない。

 比較優位の原則は市場のグローバル化を支持し、世界経済の発展を促し人々を豊かにしてきた。近代化以降、19世紀までは欧州各国が、20世紀は米国が、21世紀は中国が、グローバル市場から大きな利益を得て国を豊かにした。途上国も政治的に安定していれば、グローバル市場から利益を得て国の建設を進めることができる。だが、未来を見据え、政治、環境、人権など様々な問題に目配せするとき、比較優位の原則は大幅な修正が必要と思えてくる。


(2023/4/1記)


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