☆ 嫌酒時代到来? ☆


 この半世紀、嫌煙運動が広がり、愛煙家は肩身の狭い思いをしてきた。結果、喫煙者は大きく減った。愛煙家が「煙草ばかりがなせそんなに嫌われる」とぼやくのを幾度となく聞いてきた。だが、嫌煙の次は嫌酒になりそうだ。筆者は喫煙しないが酒は飲む。それも少なからず飲む。若い頃は二日酔いの頭を抱えながら出社することが日常茶飯事だった。そう言えば、ぼやく愛煙家の友人の隣で、「そのうち嫌酒の時代になるよ」と慰めていたことを思い出す。とうとう、それが現実になる。

 長い間、適量ならば酒は「百薬の長」などと言われてきたが、近年の研究では少量でもアルコールは身体に害があるという報告が増えている。これを受けて、カナダ薬物使用・依存症センターは「少量でもアルコールは害があり、飲んでも週1、2杯に留めることが望ましい」とアルコール摂取のガイドラインを改定した。1杯はビール341ミリ、ワインで142ミリに相当するとのことで、おおよそ週に350ミリの缶ビール2本までという勘定になる。カナダ人と日本人の身体の大きさの違いを考慮すると、日本人ではさらに少ない方が望ましい。週に350ミリの缶ビール1本半くらいが限度か。これはかなり少ない。この程度ならば飲まないのと同じだと言いたくなる。そのとおり、カナダは飲まないことを勧めている。

 実は、筆者は以前から、いずれこういう時代が来ると思っていた。適量なら酒は身体によいという科学的な根拠はない。心血管疾患のリスクは少量のアルコール摂取者の方がわずかながら低いという研究はあった。しかし、腫瘍など他の疾患の発生率が少量でも飲酒をしない者より高くなるためその程度の効果は簡単に帳消しにされてしまう。「百薬の長」は酒飲みの神話に過ぎなかった。そもそも、翌日頭が痛くなるような飲み物が身体に良いはずがない。酒飲みはみな現実から目を逸らしていたに過ぎない。

 健康に害があるとして煙草は厳しく制限された。今ではのめる場所はごく限られている。酒も健康リスクがある以上は、煙草と同じように制限されるべきだろう。酒税を上げることも当然に視野に入る。もしも国民が飲んでばかりいたら、侵略されたとき一溜りもない。だから防衛費の財源には酒税増税を充てることが相応しい。煙草は受動喫煙があるが、酒はないと言う者がいるが、酒を飲むと気が大きくなりバカ騒ぎして周囲の迷惑になること、甚だしい。酒飲みは、今の内から嫌酒運動が始まることを覚悟してアルコール摂取量を減らした方が良い。

 ただ、嫌酒を進めると、経済的な影響は大きい。アルコール飲料の製造業者が影響を受けることは言うまでもなく、街の居酒屋やバーでは経営が成り立たなくなるところが続出する。酒が飲めるから帰りに食事をするという者も多いから、居酒屋だけではなく一般の飲食店にも影響がでる。

 とは言え、飲む機会が減れば、家族団らんで過ごす日が増え、また生涯学習やスポーツ、芸術など人生を豊かにする活動に割く時間も増える。それにより新しい産業が育つ。長い目で見れば経済の問題は解決できる。むしろ、活性化に繋がるかもしれない。

 本格的な嫌酒運動が広がるまでにはまだ時間が掛かるだろう。新型コロナの蔓延で薄れてきたが、飲みニケーションは円滑な組織運営に欠かせないという雰囲気はまだまだ強い。特に管理職以上の年齢層がそうだ。また、酒を飲むのは極力止めましょうと国や自治体が勧告したら、飲食業界から強い反発が出ることは必定で、行政としては対策が必要となる。それでも、長い目で見れば、嫌酒運動が広がり、酒も煙草と同じ運命を辿ると予想される。ただ、酒飲みには禁酒又は節酒は大きなストレスになる。だから、禁煙外来に加えて禁酒外来が必要になり、いずれ増えていく。こんなことを言うと、「好きな酒を止めてまで長生きしたくない」という声がいたるところから上がりそうだが、酒の害が明らかな以上、その内なる声を克服しないといけない、と思う。


(2023/2/1記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.