☆ AI、ロボット、肉体労働、未来 ☆


 AIにとって自然言語理解は難問中の難問とされてきた。だが、この分野でもAIは急速に進歩を遂げている。いまや、テーマを与えれば自動的に論文を作成してくれる。そして、それがAIで作成したと見抜くことができないほどの出来栄えのこともある。学生が自分で考えることを止め、AI任せになることが危惧される。詩作も進んでおり、人間が書いたのかAIが書いたのか、もはや見分けることができない。

 AIにはまだまだ解決すべき課題は多い。それでも、ここ10年、20年の内に、賞を取るレベルの小説を書き、数学の未解決問題を解くAIが登場する可能性がある。だが、そうなると人間の存在意義の見直しが必要になる。

 人間の労働を頭脳労働と肉体労働に分けて論じることがある。この分類は万能ではなく、両者の境界は明確なものではない。医師、看護師、介護士、教師、保育士などは両方の面がある。さらに、近年は、感情労働(人の感情を理解しながら仕事を進めること)などという分類も出てきている。だが、総じていえば、この二分法は有効で、頭脳労働を肉体労働の上に置くという慣習が今でも続いている。事実、アスリートや芸能人を除くと、高い報酬を得ているのは頭脳労働者で、社会を統治しているのも頭脳労働者だ。たとえば、立法、行政、司法のいずれも、その中核は頭脳労働で占められている。

 だが、AIが自然言語も人間並みに理解できるようになり、論文や報告書、提案書、さらには文学作品までも人間と同等かそれ以上のレベルで作成できるようになると、この頭脳労働優位の体制が崩れる。たとえば、裁判官は公平中立であることが不可欠であるが、人間である以上、自分の思想信条や感情に動かされることがある。また、重要な論点を見落とすこともある。だからこそ三審制が欠かせない。だが、AIはより公平で必要な論点を十分に把握したうえで適切な判決を下すことができる。問題は、裁かれる者がAIによる判決を受け入れることができるかどうかだけだ。立法や行政も同じことで、医療や学術研究なども同じことになる。そうなると、頭脳労働はAIで置き換え、肉体労働を人間が遣るという時代が到来する可能性がある。肉体労働の多くも、これまでロボットで置き換えられてきた。だが、囲碁で名人に勝つAIを作ることよりも、富士山に一合目から頂上まで自力で登るロボットを作ることの方が難しい。肉体の持つ柔軟性、汎用性、可塑性を金属やプラスチック、半導体などを主要な素材とするロボットで実現することは容易ではない。つまり、頭脳労働よりも肉体労働の方が機械化が難しい。内科の診断ではAIが医師に勝り、手術では医師がロボットに勝るという時代が来る。そうなると、私たちは肉体労働を見直し、それに従事する者に高い報酬を支払うことが必要となる。そして、ホワイトカラーなどという分類は消滅する。そもそも今でも肉体労働は正当に評価されていない。

 だが、問題がある。組織の統治はやはり頭脳労働に属する。だとすると、国など行政を含めて組織の統治は人間ではなくAIが遣った方が良いという状況が生まれる。議員も、閣僚も官僚も、裁判官もAI、あるいはAIの指示通りに動くだけの人間になる。民間企業のCEOなどの幹部も同じ。スポーツチームの監督コーチはAI、その指示に従う選手は人間、こういう時代がSFではなく現実になる。もちろん、AIの方が上手くできることが分かっていても、あえて人間が行うという選択はできる。囲碁や将棋でAIが名人に勝つからと言って、囲碁や将棋が廃れているわけではなく、むしろ人気は高まっている。だからAIをあくまで助言者に留めて最終的な判断は人間が行うという体制を作ることはできる。責任を取るのは人間だから、AIが進歩しても、現実的にはそうなる可能性が高い。ただ、そうは言っても、誰の目にもAIの方が優れた判断力を持つことが明らかになったときにも、その体制を維持することができるだろうか。さらに、AIが進化して人間の肉体の能力を超えるロボットを作り出したとき、つまり、AIとロボットが自分で自分を再生産、自己増殖することができるようになったときにはどうだろう。人間は単なるあまり役に立たない道具に、あるいはAIやロボットのペットになるということもありえる。人間が月や火星に移住することはほとんど不可能に近いが、ロボットならばできる。ロボットならば、太陽系を超えることもできるかもしれない。人類という生物種の使命は人間を超えるAIとロボットを作り出すことなのかもしれない。そして、それを果たしたとき、他の動物と比較して余りにも貪欲で見た目も余り可愛くない人類に存在意義があるかは疑わしい。


(2023/1/6記)


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