☆ 言葉の柔らかさ ☆


 運動部の学生らしき二人の若者がランニングして、散歩中の私を追い抜いて行った。見るとユニフォームの背中に「努力に勝る天才なし」と印刷されている。この言葉は少しおかしい。「努力」は人の行為であり、「天才」は才能またはその持ち主を意味するから、カテゴリーが合っていない。「努力する能力は天才の能力で最も重要な要素である」、「天才は他の者より遥かに努力する」などならばカテゴリーが合う。論理的な正しさを求めるのであれば、こういう表現が望ましい。

 哲学者のような理屈を捏ねるのは野暮だというのは分かっている。だから、この言葉は間違っているなどと文句を言う気は更々ない。そもそも、この言葉は「自分には才能がないと諦めないで、もっと頑張ってみよう」ということを訴えている。この言葉は「継続は力なり」にも通じる。ちなみに「継続は力なり」も「継続」と「力」でカテゴリーがあっていないように感じるが、こちらも別に構わない。

 言葉の論理や意味は曖昧で、論理学的には正しくないことが少なくない。だが、私たちはそれでも容易に言葉が意味するところを理解するし、共感することもある。私がここで文章を書いているのも、「努力に勝る天才なし」という言葉に共感したからだ。一方、論理的な言葉は難解で理解不能なことが多々ある。高度な数学や論理学がその典型と言えよう。

 言葉は曖昧だが、そこに良さがある。曖昧と言うより柔らかさと言うべきかもしれない。言葉の柔らかさは創造の源泉で科学や芸術の発展にも大きく貢献している。一方で、AIによる自然言語理解、機械翻訳が容易ではない理由も言葉の柔らかさにある。言葉の柔らかさにはメリット、デメリットがある。だが、やはり、人の心を癒し、動かすのは言葉の論理ではなく柔らかさだ。そのお陰で、諍いが起きても収めることができるし、許すこともできる。言葉の柔らかさに感謝したい。


(2022/12/15記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.