☆ 鼠小僧は義賊か ☆


 大名屋敷から金を盗み、貧しい者に施した鼠小僧次郎吉は義賊と謳われる。だが、本当に鼠小僧は義賊なのか。

 大名屋敷から少々の金を盗んでも、大名や家臣が経済的に困ることはない。その証拠に盗まれたことを恥だと考え、盗難を届け出ない家が多かったと言われる。一方、貧しい者は、大名にとっては端金に過ぎない1両のお金で暮らし向きをずっと良くすることができる。それゆえ「最大多数の最大幸福」を旗印とする功利主義的な観点からすれば、鼠小僧を義賊と呼ぶことは間違っていない。

 一方、いかなる理由があるにせよ、盗みという不法行為を犯したのだから、鼠小僧は義賊ではなく犯罪者だという意見もある。目的は手段を正当化しないという訳だ。

 どちらが正しいか、それは状況による。もし、権力者層や富裕層などに腐敗が蔓延し、その一方で庶民が窮乏化しているような状況ならば、鼠小僧の行為は正当で、彼を義賊と呼ぶことは正しいだろう。だが、社会保障が充実し、所得が最も少ない層でも生活に困ることはない社会では、鼠小僧は義賊とは言えない。また、鼠小僧が盗んだ金をすべて貧しい者に与えるのではなく、盗んだ金のほとんどを着服し、ほんの僅かのお金だけを与えていたとしたら、義賊と言えるかどうか怪しくなる。鼠小僧の時代は19世紀前半、11代将軍家斉の治世で、現代的な感覚で評価すれば格差が極端に大きな時代だった。だから本当に盗んだ金をすべて貧しい者に与えていたのであれば義賊と呼べる。だが、実際のところは、鼠小僧が貧しい者に施しをしたという確かな証拠はなく、お金の大半は遊興に費やしたと言われている。だから、たとえ施しをしたのが事実だとしても、義賊と言えるかどうかは疑わしい。

 いずれにしろ、鼠小僧が義賊かどうかを決めるのは難しい。ただ言えることは、鼠小僧に拍手喝采を送る者がたくさんいるような社会は、決して健全な社会ではないということだ。さて、現代日本に生きる私たちはどうだろう。


(2022/11/7記)


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