元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏が8月30日にお亡くなりになった。91歳だった。心よりご冥福をお祈りする。 ゴルバチョフは平和主義と寛容の精神の下、鉄のカーテンと呼ばれたソ連の情報統制を緩和し民主化と自由化を進めた。外交では、核軍縮の道を開き、東西冷戦を終結し、東ヨーロッパ諸国の自立と民主化を促した。その業績は極めて大きい。祖国ロシアでは、ソ連を崩壊させ社会を混乱させたことで評判は芳しくないが、いつかは、平和主義と寛容の精神で世界の改革を目指したその姿勢がロシアでも再評価される日が来ると信じる。 戦後生まれの筆者にとって、最も大きな衝撃を受けた歴史上の出来事は、1989年のベルリンの壁崩壊から91年に掛けて起きたソ連・東欧共産圏の消滅だった。70年代の学生時代、頻繁に学友たちと共産主義と資本主義とどちらがよいかという議論をした。筆者に限らず、当時の学生にとってそれは最も関心のある話題の一つだった。筆者は共産主義こそ人類の進むべき道だと考えていた。激しい競争の下で勝利者だけが富を独占し、失業や倒産で経済的に苦境に立つだけではなく精神的にも追い詰められる者が多数でる資本主義よりも、平等で人々が助け合って働き生きていく共産主義の方が遥かに優れた体制だと思えた。さらに、マルクスは共産主義の方が無政府主義的な生産活動をする資本主義よりも経済的により豊かになれると説いていた。未来は共産主義にあり、21世紀には世界のほとんどが共産主義になると信じた。当時から、ソ連・東欧や中国の共産党政権が、民主化運動を弾圧し、厳しい情報統制を敷き言論や表現の自由を封殺し、軍国主義的であることはよく知られていた。それでも、これは一時的な逸脱に過ぎず、いずれは正しい道、民主的で、自由で、平等で、豊かで誰もが等しく幸福になれる共産主義が実現する、そこに至るまでの生みの苦しみなのだと考えることで、共産主義を擁護した。当時の世界的に著名な知識人、たとえばサルトルやチョムスキーなども共産主義国の人権抑圧を批判しながらも、共産主義に期待し未来は共産主義にあると考えていた。 そして、85年にゴルバチョフがソ連共産党の書記長に就任し、改革を始めたとき、遂に共産主義が正しい道へと進むときがきたと期待した。情報統制を大幅に緩和し、民主化と人権の確立を進め、対外的には米国との間で核軍縮を進め、当時の米大統領ブッシュ(父)とのマルタ会談で東西冷戦の終結を宣言した。まさに期待は現実のものとなった。だが、その後、事態は急転する。ゴルバチョフは民主と人権の重要性を理解していた。東ヨーロッパ諸国で民主化が進み、ベルリンの壁が崩壊したときも、ソ連は介入することはなかった。しかし、その動きは、ただちに東欧諸国全体に及び、共産党政権は次々と崩壊し、その波はソ連にも及んだ。ゴルバチョフはソ連と共産党を潰すつもりはなかった。彼は共産主義・社会主義を放棄したわけではなく、資本主義・自由主義との共存を実現し、平和の中で、人々の自主的な運動の結果として理想の共産主義・社会主義が実現することを望んだ。そして、共産主義に期待する世界の多くの者たちが同じ考えだった。しかし、ソ連はあっという間に崩壊しゴルバチョフは失脚し共産主義がヨーロッパから消滅した。中国、ベトナムなどアジアでは共産党政権は残ったが、その経済体制は共産主義というよりも国家資本主義という方が相応しい。事実上、共産主義は世界から消滅しグローバル資本主義が取って代わった。 共産主義には確かに難点が多い。その経済体制を維持するには、経済的な自由は制約せざるを得ない。そして経済的自由の制約は表現や言論の自由の制約に繋がる恐れがある。共産主義と複数政党制が共存できるかどうかは疑わしい。また、競争を制限することが技術革新などを阻害することも否めない。自由で且つ豊かな理想の共産主義は、すべての人々が、自分の利益や幸福と同じく、あるいはそれ以上に他人の利益や幸福を大切にするような社会が生まれない限り、実現しそうもない。実現不可能な理想を無理やり現実化しようとすると、どうしても真逆の抑圧的な体制になってしまう。ゴルバチョフはまさにこの不可能なことを現実化しようとして失敗したのかもしれない。 だが、それでも、共産主義には今でも魅力を感じる者が少なくないし、未来の構想として大切にとっておくべきものであることは間違いない。そして、その中で、ゴルバチョフの業績は長く称えられるべきものだと考える。 了
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