年取ったとつくづく思うときがある。それは探し物をしているときだ。 とにかく探し物が増えた。一日中何かを探している。まずメガネ、以前は探すことなどなかった。近くのものが見えにくくなり、外すことが増えたのが原因だが、ときには笑い話によくあるように、メガネを額に掛けたまま探していることがある。若い頃からすぐに物をなくす注意力散漫な者だったがさすがにこんなことはなかった。探すことが増えただけではない。見つけるまでに時間が掛かるようになった。特になかなか見つからないのが家の鍵だ。鍵がないので外出できなくなったこともある。あとテレビと空調のリモコンもよく行方不明になる。決まった場所に置くよう心掛けているのだが、それでもすぐになくなる。 記憶力が落ちたことが原因だろう。特に落ちたと思うのが短期記憶と記憶を読み出す力だ。人間の脳細胞は生まれたときから減る一方だと言われる。最近の研究では脳細胞も再生することがあると言われているらしいが、それはごく稀で、全体としては確実に数は減っていく。だから、短期記憶への書き込み、保持、読み出しが難しくなる。メモリ容量が小さいPCが処理に時間が掛かるのと同じ理屈だ(と思う)。その結果、探し物が増えて、見つけるまでに時間が掛かる。 困ったことなのだが、これは高齢者の宿命で如何ともしがたい(と信じたい)。だから逆手を取って「忘却力」などという肯定的な捉え方をしようという試みが以前あった。だが、現実にはそういう楽観的、肯定的に捉えることは難しい。現実問題として、圧倒的に困ることの方が多いからだ。空調のリモコンが見つからないと、猛暑日などは命に関わる。 つくづく若い頃は良かったと思う。ところが、学友にそう話したら、「お前は学生の頃から探し物をしてばかりいた」と笑われた。若い頃のことも忘れてしまったらしい。 了
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