西洋哲学史を代表する哲学者を10名選ぶとしたら誰を選ぶか。 (注)非西洋圏でも、西洋哲学者に遜色のない偉大な思想家は多数いる。ただ、現代において「哲学」という名で語られる学問分野においては、西洋哲学の主題、方法や理論が圧倒的な影響力を持っており、それゆえ、ここではもっぱら西洋哲学者を対象とする。 こういう企画はよくあり、様々な哲学者たちの名前が並んでいる。評者によりまちまちだが、まず、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、この4名は必ず含まれると言ってよい。プラトンとアリストテレスは西洋哲学の源流であり、二人を外して西洋哲学を語ることはできない。デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」で近代哲学の原点となった。カントは、18世紀末以降の西洋哲学の源流で、現代哲学を含めて後世に絶大なる影響を与えている。カントをどう評価するかを語らずして、西洋哲学を語ることはできない。 さて、他の6名をどうするか。多くのランキングをみて、ほぼ確実に入っているのはヒュームとヘーゲルだ。ヒュームはイギリス経験論の完成者で、かつカントに決定的な影響を与えている。ヘーゲルはドイツ観念論の完成者であり、マルクス、キルケゴールなど後世の偉大なる思想家たちに大きな影響を与えている。ただ、マルクスやキルケゴールなどはヘーゲルの継承者というよりも、その徹底的な批判者として現れている。その点は他の哲学者とは異なる。とは言え、今でもヘーゲルは良く引用されるし、影響は大きい。それゆえ、10名の一人に選んで間違いはない。 以上の6名は専門家からも文句は出ないだろう。すると残りは4名となるが、ここからが難しい。まず西洋中世の哲学者をどう評価するかという問題がある。プラトンとアリストテレスは古代ギリシャの哲学者で、他の4名は近代西洋の哲学者たちだ。そうなると、長い中世が無視されることになる。中世の哲学はスコラ学などと言われ、軽視される傾向があり、教科書などでも紹介されることは少ない。だが、唯名論か実在論かという普遍論争などは現代哲学や数理論理学に通じる重要な論点であり、中世を無視することは間違っている。そこで中世の思想家から、もっとも著名なトマス・アクィナスを10名の一人に選ぶことにする。 残り3名。古代ギリシャには、プラトン、アリストテレス以外にも偉大な哲学者が多数いる(注)。タレス、パルメディネス、ヘラクレイトス、デモクリトス、エピクロスなど枚挙に暇がない。また、古代ローマにも優れた哲学者がいる。だが、古代ギリシャやローマは確かに西洋文明の源流だが、現代に至るまでには多くの変革と進歩があり、プラトンとアリストテレスを取り上げれば十分だろう。 (注)ソクラテスは、西洋思想の原点とされることがあるが、自らは著作を残しておらず、その思想はすべてプラトンが師ソクラテスの言葉としてその著作で伝えたものだ。それゆえ、ソクラテスはプラトンに代表されると考えることができるから、ここでは取り上げない。 科学と数学、工学が目覚ましい発展を遂げた20世紀以降も、優れた哲学者は多数いるし、哲学の重要性が薄れたわけではない。では、20世紀、21世紀に選ぶべき哲学者はいるだろうか。20世紀を代表する哲学者としてハイデガーとウィトゲンシュタインを挙げる者が多い。しかし、二人を全く評価しない者も少なくない。また、半世紀前まではサルトルを最高の哲学者と評する者が多かった。このように20世紀以降の哲学者は評価が定まっていない。それゆえ、10名の中には取り上げない。 そうなると、ある程度、候補は絞られるが、それでも、無数に候補はおり、3名選ぶのは至難の業と言わなくてはならない。そこで、私見だが、現代世界に決定的な影響を与えたと考える3名を選ぶことにする。それは、イギリス経験論の祖であり、同時に近代民主主義思想の祖でもあるロック、共産主義運動の祖マルクス、伝統的な西洋哲学を根底から転倒したニーチェ、この3名だ。 他にも、スピノザ、ライプニッツ、パスカル、ヴィーコ、バークリー、フィヒテ、シェリング、ショーペンハウエル、哲学者と呼ぶのはいささか違和感があるが、ここに挙げた哲学者に優るとも劣らぬ重要な思想家、マキャベリ、ホッブス、モンテスキュー、ルソー、ベンサム、アダム・スミス、J・S・ミル、M・ウェーバー、フロイト、さらには、ときに20世紀哲学の源流とも称されるフレーゲ、フッサールなども忘れられない。ガリレオ、パスカル、ニュートン、ダーウィン、アインシュタイン、N・ウィーナー、チューリングなども哲学者的な側面がある。それゆえ、本稿の選択は恣意的であることは否めない。だが、それはこのような企画の宿命ということでご寛恕願う。 年代順に纏めると、次の通りとなる。プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、デカルト、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、この10名。さて、皆さんならば誰を選ぶだろうか。 了
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