☆ 社民党 ☆


 社民党が存亡の危機に陥っている。参院選で得票率が2%に達しないと政党としての要件を満たさなくなる。

 前身の日本社会党(以下、「社会党」という。)は戦後直後に結成され、90年代半ばまで野党第一党として多くの支持を集め政界で巨大な影響力を誇っていた。短期間ではあったが、片山、村山という二人の首相を輩出している。60年代半ばから70年後半にかけては、社会党と共産党の共闘で東京、大阪など大都市を中心に全国に革新自治体を誕生させ、「中央は保守、地方は革新」と称された。革新自治体が後退した後も、80年代末、消費税導入とリクルート事件で竹下政権が世間の非難を浴びたとき、初の女性委員長、土井たか子の下、社会党は躍進し自民党に迫る勢力になった。だが、それが最後の輝きだった。

 その後、自社さきがけ連合で社会党委員長の村山富市を首班とする政権ができたが、それが社会党・現社民党の衰退の始まりでもあった。80年代末から90年代初頭にソ連東欧共産圏が崩壊し、社会主義・共産主義は支持を失った。それが、社会主義的傾向が強い社会党からの支持離れを引き起こした。そのような状況の下、長年対立してきた自民党と組むのは社会党としてはやむを得ない選択だったかもしれない。しかし、自民党との連立は長年の支持者の失望を招いた。筆者もその一人だった。首相の座を得たものの社会党は衰退することになり、社民党に党名を変えても流れは変わらなかった。

 何が駄目だったのか。社会主義を志向する左翼運動が後退した70年代に社会党は社会主義思想と労働組合を核とする労働者政党から広く国民各層から支持される国民政党へと脱皮するべきだった。だが、教条化し国民の支持が得られなくなった社会主義思想に固執し、組合頼みの政治活動という体質を変えることができなかった。護憲は社民党の中心的スローガンだが、護憲だけでは広く国民の支持を得ることはできない。もっと身近なテーマで支持を訴えないと国民の心を掴むことはできない。たとえば、低所得者層の減税、最低賃金の引き上げ、労働時間の短縮、社会保障と福祉の充実、高等教育を含めた教育の全面的無償化、金融所得の課税強化など富裕層と大企業への課税強化など具体的な政策をもっと前面に出して選挙戦を戦う必要があった。ところが、抽象的な憲法論が前面にでて人々の生活を改善するための具体策は付け足しのような扱いになっている。これでは支持は広がらない。要するに、危機に陥り改革が不可欠なのに、原理原則論や過去からの主張に固執し、改革を怠ったことが衰退の最大の原因なのだ。

 社民党は変わらなくてはならない。今のように原理原則論を叫ぶだけでは衰退の道から抜け出せない。何も社会主義思想と護憲を捨てろなどとは言わない。ただ、広く国内外の情勢を分析し、現状に相応しい社会主義思想、護憲論へと転換する必要がある。またデジタル時代にマッチした組織運営も必要となる。それができれば、たとえ今回の参院選で、政党要件を満たせなくなったとしても、捲土重来を期すことができる。自由主義的な市場経済と米国中心の外交を支持する保守や中道政党には満足せず、だからと言って共産党は左翼色が強すぎて支持できないという者は少なくない。だから社民党が将来大きく伸びる可能性は十分にある。ただ、残念ながら、福島党首の演説を聞く限りでは、あまり期待できないというのが偽らざる感想だ。


(2022/6/17記)


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