子ども時代が人生の黄金期だった。こう語る者は多い。私もそう思う。だが、本当にそうなのかと昔のことを思い起こすと疑問が湧いてくる。 友だちと喧嘩して以来お互い口を聞かない、仲直りをしたいのだがどうすればよいか分からない。先生が嫌いで先生も僕を嫌っている。母親が僕の気持ちを分かってくれない。好きな子から相手にされない。苦手な食べ物を食べなくてはならない。子ども時代も悩みの種は尽きなかった。苦い思い出もたくさんある。良い思い出の方が少ないくらいだ。 子ども時代を黄金期だと思うのは、子ども時代が二度と戻ってこないからだ。子ども時代は素晴らしかったという幻想を抱くことで、今は辛くとも人生には良い時があるのだと自分に言い聞かせることができる。子ども時代は二度と戻らないから子ども時代に幻滅することはない。だから、子ども時代=黄金期という幻想は消え去ることはない。それは大人にとって永遠の慰めになる。映画史上最高の傑作と言われる『市民ケーン』にもこの幻想が描かれている。大富豪の主人公が死の間際に残した謎の言葉「ローズバッド」は、貧しい子ども時代の橇の名前だった。マルクスも『経済学批判への序説』と呼ばれるノートに、子ども時代が人生で最も美しい時期だと評している。だが、子ども時代が黄金期だったというのは錯覚に過ぎない。こういう解釈もできるだろう。 それでも楽しそうに遊んでいる子どもたちを見ると、やはり、それは文字通りに黄金期なのだと納得する。その理由は、子どもは今に生きているからだ。ウィトゲンシュタインは、主著『論考』で「永遠を時間が無限に続くことではなく無時間性だと考えるならば、今に生きる者は永遠に生きる。」と述べている。子どもはまさに今に生きている。だから永遠なのだ。そして、それが私たち大人にとって限りない魅力を生み出している。 了
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