☆ 言葉の力 ☆


 ベリーのパラドックスというものがある。「19文字以内で記述できない最小の自然数」これがそうだ。文字の種類は有限だから、19文字で記述できる自然数の数は有限になる。だが、自然数は無限にあるから、この定義に合致する自然数が存在する。ところが、定義「・・」は文字数が19文字になっている。つまり、19文字で記述できない最小の自然数は19文字で定義されているから矛盾となる。これは屁理屈だと思うかもしれない。しかし、自然数は数学の基礎の基礎であり、数学が矛盾を含まず確実な真理であることを保証するためには、自然数の明確な定義が必要となる。そして、定義は言葉でなされる。それゆえ、これを屁理屈で済ませるわけにはいかない。

 ラッセルのパラドックスというものがある。「自らを含まない集合すべての集合R」これがそうだ。RはRに含まれるだろうか。含まれないと仮定すると、自らを含まないのだからRに含まれるはずで矛盾。一方Rに含まれると仮定すると、Rは自らを含まない集合すべての集合であり自らを含む集合を含まないはずなので矛盾。つまり、どちらでも矛盾になる。集合はやはり数学の基礎の基礎であり、こちらも屁理屈で済ませることはできない。

 現代数学では、集合の定義などでこの二つのパラドックスを回避している。このような単なる屁理屈に過ぎないように見える言葉に重要な問題が隠されていることを見抜き、この難問を解決する数学者や論理学者は凄い。

 だが、本当に凄いと思うのは言葉の力だ。この二つのパラドックスは、言葉には数学を破壊する力が備わっていることを示している。どちらも文章としては何の問題もなく誰でも理解できる。ところが、矛盾のない数学を構成するにはこのような言葉の使用を制限する必要がある。言葉の使用を制限しないと数学が破綻してしまうからだ。そして、数学的に矛盾することすら、言葉は作り出してしまう。言葉は数学を超える創造性を持つと言ってもよい。

 このことは、言葉を数学的に解明しつくすことはできない、AIは人間の知性を超えられないということを導くわけではない。しかし、言葉の破壊力と創造力は、それが容易ではないことを示している。ガリレオは自然という書物は数学で書かれていると語っているが、自然には数学を超えるものがあるように思える。


(2022/4/22記)


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