☆ 希望は捨てない ☆


 洋の東西を問わず、古代には奴隷制は当たり前の制度だと思われていた。アリストテレスでさえ奴隷制を支持していた。18世紀、植民地主義は広く容認されていた。アダム・スミスは植民地を解放し自由に交易をした方が利益は大きいと見抜いたが、そのような時代は来ないと考えた。19世紀、男女を問わずほとんどの者が男性は女性より優れ男性が社会を支配することは当然だと考えていた。マルクスは女性の権利を主張したが、男女平等論者とまではいかなかった。20世紀半ばまで、ほとんどの者は、LGBTは病気あるいは不道徳と考えていた。コンピュータサイエンスの父、チューリングは戦後、同性愛で告発され失意のうちに自らの命を絶った。

 しかし、世界は変わった。奴隷制を支持する者は専制的な国でもいない。植民地は解放された。男女平等は当たり前のことになった。日本は女性の社会進出が遅れているが、それでも保守的な者でも男女平等は当然だと考えるようになっている。LGBTの権利は大幅に認められるようになり、同性婚も世界的に認められる方向にある。

 ロシアのウクライナ侵攻と、核戦争の危機は世界に衝撃を与え、日本でも核共有、非核三原則の見直しを促す動きが出てきている。確かに、世界の現実は、国際的な諸問題を力の行使ではなく平和的な外交交渉ですべて解決するという状況にはない。外交交渉においても軍事力が大きな影響を与える。外交努力ですべて解決可能、憲法9条が日本の安全と世界平和を約束する、というような楽観論が正しくないのは事実だ。

 しかし、軍事力で紛争を解決する世界と、平和的な話し合いで紛争を解決する世界とどちらが良いかと問われれば、多くの者が平和を支持するだろう。核兵器のない世界、いやすべての兵器が廃棄された戦争もテロもない世界、こういう世界が実現することを多くの者が望んでいる。

 それが、ここ10年、20年で実現することは現状を見る限り期待できない。おそらく50年後も難しいだろう。しかし、その当時は当然のものと信じられていた奴隷制、植民地、男女差別、LGBT差別は解消された。ならば、今は実現不可能に思える兵器のない平和な世界が将来、実現する可能性はある。それも今予想しているよりも早くくるかもしれない。確かに現実は厳しい。だが、目の前の現実に怯え、希望を捨ててはならない。


(2022/3/11記)


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