☆ 科学を過信しない ☆


 科学と技術は着実に進歩している。だが、過信は禁物だ。分かることより分からないこと、出来ることより出来ないことの方が遥かに多い。45年ごろにはシンギュラリティが来て科学と技術は指数関数的に進化するようになると予言する者がいる。しかし、そのようなことが実現するとは思えないし、たとえ実現したとしても、この状況は変わらない。

 たとえば1千年後、人類が生存していたとしても、太陽系外に旅行することなど出来ない。精々、火星に基地ができ、少数の者が駐在しているくらいが関の山だろう。危険な病原菌を全て駆除することはできず、終わりのない戦いが続いている。癌、心疾患、脳血管疾患も消えずに残っている。寿命はさらに延びるだろうが、200年以上生きる者はいない。AIは人間をしのぐ知力をもっているが、人間が何もしなくてもよいという訳にはいかない。巨大地震は依然として予測ができず被害も避けられない。おそらく戦争やテロを撲滅することすらできず、格差も解消されていない。もし、さらに1万年後まで生き延びることができたとしても、状況はさほど変わらない。むしろ、科学や技術の限界が明らかになり、人々の科学や技術への関心は薄れているに違いない。何より、1万年後も人類が生き延びているかどうかが甚だ疑わしい。

 近頃、遺伝子を操作して知能の高い人間、身体能力が高い人間、芸術的天才を作り出すなどという考え、つまり優生学の亡霊がしばしば出現している。だが、それには倫理的な問題があるだけではない。遺伝子の操作は自由にできても、それがどのような帰結をもたらすかを正確に予測することはできない。そもそも遺伝子を操作するだけで知能を高くすることが出来るとは思えないし、ニュートンやアインシュタインを超える比類なき天才だが精神障害に苦しみ若くして自殺したり殺人を行い終身刑に処されたりする者が生まれる危険性もある。

 幾ら人類が長く生存しても、望むものがすべて手に入るような時代が来ることはない。あらゆる疑問が解決される日もこない。科学と技術を活用しながらも、その限界を弁え、科学や技術の進歩よりももっと大切なことが沢山あることを認識し、より多くの人が良い人生を送ることができる世界を構想することが求められている。


(2021/6/11記)


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