☆ 文明と自然環境 ☆


 環境問題への関心が高まっている。文明の進化と共に人類は自然環境を破壊してきた。果たして、これから先、文明と自然は共存できるだろうか。これについては、5つの立場がある。

 環境問題は誇張されており、これまでの遣り方を続けていても問題は起きないとする立場がある。トランプ前米国大統領などがこの立場に近い。日本でも温暖化否定論者などこの立場に近い者は少なくない。ネットでも、環境問題は環境ビジネスで一儲けを企む者たちの誇大広告に過ぎないとする見解をしばしば目にする。近年、異常気象や感染爆発など異変が起きるとすぐに温暖化と結びつけて論じる風潮があり、疑問を感じないわけではない。しかし、二酸化炭素排出量の増大、温暖化、極地の氷床溶解などは現実であり、プラスチックごみが生態系に悪影響を及ぼしていることも疑いようがない。人口増に伴う食糧問題も深刻化している。それゆえ、このような楽観論は支持しがたいというのが大勢になっている。

 文明を維持・発展させるためにも環境問題は解決が欠かせない。そして、それは、現在のグローバル資本主義の下で様々な対策を取ることで解決可能だとする立場がある。おそらく現代人の多くはこの立場を取っている。菅首相の「環境と経済の好循環を生み出す」という宣言も、この立場を表明していると言って間違いない。しかし、これは確立した見解と言うよりも希望に過ぎない。資本主義の下では、利益追求が社会の原動力となっており、それが人々の欲望の拡大に繋がっている。いまや、人類の活動が生み出した人工物の総量はバイオマスの総量と同じ規模に至っている。資本主義が続く限り、人工物は益々増えていく。人工物の増加は自然環境の破壊を伴う。果たして、それで環境問題を解決できるのか。情報処理、デジタルコンテンツなど環境負荷が少ない財をビジネスの中心とすることで解決可能だとする意見もあるが、疑問が残る。

 資本主義が続く限り環境問題の解決は不可能、しかし資本主義を終わらせ自然環境と調和した社会体制とライフスタイルを構築することで問題を解決できるという立場がある。昨年来、大きな話題となっている斎藤幸平著『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020)はこの立場を取り、晩年のマルクスの思想に注目し、脱成長コミュニズムによる問題解決を提唱している。先にも述べたとおり、資本主義は利益追求で成立しており、内的必然として環境負荷を増大させる。だから、資本主義の下では環境問題の抜本的な解決は不可能だとする意見は傾聴に値する。ただ、それは環境問題解決が資本主義の下では不可能であることを証明しているわけではなく、容易ではないことを示すに留まる。また、現実問題として、この立場を取る論者たちの提言を、世界の人々が受け入れるかという問題がある。特に既得権益を持つ者たちが受け入れるとは到底思えない。

 資本主義が続く限り環境問題は解決不可能だが資本主義を止めれば解決は可能だという点では前の立場と同じだが、現実問題として資本主義を止めることはできず、環境問題の解決は不可能だという立場がある。これは、人類は、解決方法がありながら、愚かにもそれを選択することができず衰退していくことを免れないとする思想に等しい。このようなニヒリズムに同意したくはないが、可能性は否定できない。

 最後の立場は、資本主義を続けようと止めようと、いずれにしても環境問題は解決できず人類は衰退していくというものだ。この立場の者はたとえば次のように考える。社会体制やライフスタイルに関わりなく、人口増加は止めようがなく、それに伴い食糧は枯渇していく。一方で、環境はすでに修復不可能なほど傷ついており、50年に二酸化炭素の排出量をゼロにしたところで元には戻らない。これまたニヒリズムだが、否定しきることは出来ない。人類は普通ではありえないほどに急速に進化した分、ありえないほど急速に衰退しうる。

 筆者の立場はどれか。3番目の立場つまり資本主義を止めることで救済可能という説に一番共感するが、現実的にはそれは実現不可能で、4番目か5番目つまり環境問題は解決不可能で人類の衰退は不可避という説が正しいと感じる。とは言え、それではあまりにも救いがない。筆者の感想は間違っており、現代人の多くが信じる2番目の立場=適切な対策を実行することでグローバル資本主義の下で環境問題を解決できるという立場、あるいは、筆者が共感する3番目の立場が正しかったということになることを期待したい。だが、そううまくはいかないように思う。


(2021/5/3記)


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