いまから半世紀前、1971年にはどのような出来事があっただろう。 国内では沖縄返還協定が締結され、翌72年に沖縄が日本に返還された。今の若い人には、日本ではない沖縄は想像しがたいだろうが、半世紀前はまだ沖縄は米国領だった。 海外では、ニクソンショックと呼ばれる大きな出来事があり、日本を含めて世界に大きな影響を与えた。ニクソンショックは二つある。ひとつはニクソン大統領の中国(中華人民共和国)訪問の発表(翌72年に訪中)、もう一つは当時唯一の基軸通貨だった米ドルの金兌換一時停止だ。 東西冷戦の下、厳しい対立を続けてきた米中が歩み寄るという出来事は世界に大きな衝撃を与えた。73年の田中角栄首相(当時)の訪中と日中国交回復はニクソンの訪中がなければ実現しなかっただろう。また、それは米国軍のベトナムからの撤退(73年)、ベトナム戦争終結(75年)に繋がった。中国側から見ると、毛沢東時代の終焉とケ小平の指導の下で推進された改革開放路線の始まり(78年)を予感させる出来事でもあった。 ドルの金兌換の停止は、共産圏を除く戦後の世界経済を統制したブレトンウッズ体制を終わらせた。当時、為替は固定相場制で1ドル360円と決まっていた。子ども時代、こんな駄洒落があった。「ハンドルください。幾らですか。」、「180円に決まっているでしょ。」、半ドル=1ドル(360円)の半分=180円に掛けた駄洒落だ。その後、73年に日本を含めて先進資本主義国はすべて変動相場制に移行した。今では、円高の進行もあり、この駄洒落は通じない。 半世紀も経つとやはり世界は大きく変化する。当時の中国は核兵器を保有する軍事大国だったが経済的には弱小国だった。だが、いまや、米国を抜いて世界一の経済大国になろうとしている。ブレトンウッズ体制は遥か昔のこととなり、基軸通貨としての米ドルの存在は揺るぎないとはいえ、その力は相対化し、世界経済は中心無きグローバル市場へと変容している。国内では、沖縄返還も、日中国交回復も過去の出来事になり人々の心から遠のいた。ブレトンウッズ体制の下、護送船団方式と揶揄された政府主導の経済運営で、日本は奇跡とも言われた高度成長を実現した。しかし、いまや日本は、バブル、バブル崩壊を経て、グローバル市場に適応できず長期低迷から脱却できない状況に陥っている。 その一方で、変わらないことも多い。沖縄は日本に返還されたが、米軍基地が残存し、県民の政府や米軍に対する反撥は依然として根強い。ソ連の崩壊で東西冷戦は解消されたが、新冷戦とも言われる深刻な米中対立が起きて世界を震撼させている。貧困は一部地域では緩和されたが、依然として解決が容易ではない課題として残されている。差別解消の掛け声は大きくなったが、依然として世界中で差別が根強く残っている。経済格差は年々広がっている。公害問題は日本では改善を見たが、途上国では深刻化している。温暖化などグローバルな環境問題はむしろ深刻化している。 産業が拡大し、技術が進歩し、生活は便利になった。だが、総じて言えば、人間と社会そのものは改善したとは言い難い。それがこの半世紀の真実であるように思われる。 了
|