生命の条件として、自己複製、代謝、突然変異の3つが挙げられることが多い。ウィルスは、自己複製と突然変異をするが、代謝機能はない。だから、ウィルスは生命ではないという意見もある。だが、独立した代謝機能が無くとも、自己複製と突然変異をするのであれば生命と認めてよいように思える。AIを具備したロボットは、外部とエネルギーを遣り取りするという意味で代謝機能がある。また(現実的には困難だが)自己複製するようにプログラムすることもできる。しかし突然変異はできない。ソフトウェアレベルではOSを除けば、書き換えが可能で、データは絶えず書き換わっている。だが、それはすべてプログラムに従った変化であり突然変異ではない。またハードウェアは変化できない。だからハードウェアという。 突然変異こそ生命の本質をなす。突然変異があるから生命体は進化する。自然淘汰は曖昧な概念で、ある変異が進化論的に有利か不利かを評価することは難しい。一般的には結果的に生き残った変異が有利なものだったということになる。環境は多様であり、有利不利は環境が異なれば異なる。突然変異で身体が倍の大きさになったとしよう。仲間同士の争いでは身体が大きい方が有利だが、天敵に見つかりやすいという点では不利になる。つまり、自然淘汰は結果であり、原因を明らかにするものではない。つまり進化の本質は「生命体は突然変異する」という事実にある。 突然変異は全くランダムに起きると考えられている。特定の条件では変異にバイアスが掛かるという可能性もあるが、一意的に変異が決まるということはない。つまり、合目的的に見える生命体の進化には根源的な偶然性が潜んでいる。それは量子論における波束の収束=原理的な統計性と似通ったところがある。突然変異による進化と量子論との間には直接的な関係はない。しかし、自然界の根源的な原理には偶然が内包されていることは興味深い。 いまでは、人工的に遺伝子を組み替えて新種を作ることができる。だが、それは自然界を自在に制御できることを意味しない。自然界では、新型コロナのように、想定外の生命体が絶えず誕生している。人間自身も気が付かないうちに多くの突然変異を受けて(進化か退化かは不明だが)変化している。しかも遺伝子組み換えなどの遺伝子操作は試行錯誤の連続であり、理路整然と変化させることができるわけではない。 共産主義など計画に基づき完全な社会を作るという試みが悉く失敗に終わったという事実は、突然変異で進化するという自然の摂理に基づくと言えるかもしれない。世界が根源的な偶然性により支えられているという事実は、理性万能主義が誤りであることを示し、ときに人々を落胆させる。新型コロナが終息しても、次なる脅威を回避する術はない。だが、それが自然の中で生きる人間の宿命なのだ。 了
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