☆ 小柴さんと素粒子論 ☆


 2002年のノーベル物理学賞受賞者、小柴昌俊さんが11月12日にお亡くなりになった。享年94歳、心からご冥福をお祈りします。小柴さんは、カミオカンデを岐阜県飛騨市神岡町に建設し、超新星爆発で発生したニュートリノの観測に世界で初めて成功した。また、後継のスーパーカミオカンデはニュートリノ振動を観測し、ニュートリノが有限の静止質量を持つことを証明した。この業績で、梶田隆章さん(日本学術会議会長)が、2015年のノーベル物理学賞に輝いている。今は、さらにその後継であるハイパーカミオカンデの建設が予定されており、新しい発見を待っている。

 カミオカンデが観測を開始したのは1983年。当時、素粒子論の世界では、電磁相互作用と弱い相互作用を統一するワインバーグ・サラム理論と、クォークが主役を務める強い相互作用を説明する量子色力学からなる、いわゆる素粒子の標準理論が確立していた。しかし、標準理論では、弱電磁相互作用と強い相互作用は統一されておらず、小林・益川理論で広く知られるようになった素粒子の世代問題(なぜ3世代あるのか?)など未解決の問題が多く残されていた。そこで、登場したのが、ワインバーグ・サラム理論と量子色力学を統一する大統一理論だった。標準理論では、バリオン数の保存が成り立ち、バリオンの中で最も軽い陽子は崩壊することはない。しかし、大統一理論では、陽子は電気的に中性な中間子と陽電子に崩壊する。小柴さんが発案、建設したカミオカンデは、陽子の崩壊で発生する陽電子のチェレンコフ輻射と中間子が崩壊して発生する光子を観測することで、陽子崩壊を発見することを目標としていた。大統一理論には様々な理論があったが、その中でも最も単純な理論では、陽子の崩壊がカミオカンデで観測されるはずだった。だが、カミオカンデは陽子の崩壊を観測することはできなかった。その結果、今では、最も単純な大統一理論は正しくなく、陽子の寿命はずっと長いと考えられている(10の34乗秒以上)。

 陽子の崩壊が観測されないということだけでも、陽子の寿命の下限を明らかにするという学術的に極めて大きな意義がある。とは言え、ネガティブな観測結果だけではカミオカンデの意義が十分に評価されることはなかっただろう。予算は打ち切られ、スーパーカミオカンデ、ハイパーカミオカンデは実現されなかった可能性が高い。だが、小柴さんと同僚たちは諦めることなく、次の目標を見つけ出した。超新星爆発で発生するニュートリノを観測することだった。そして、1987年、見事にそれに成功した。その成果が、スーパーカミオカンデ、ハイパーカミオカンデに繋がり、日本の物理学は世界で高く評価されている。

 今、素粒子論は壁に突き当たっている。70年代に確立した標準理論を超える理論が半世紀以上、発見されていない。大統一理論、超対称性理論、超重力理論、超弦理論など理論の候補はたくさんある。だが、どの理論も正しさを証明する確固たる証拠がない。これらの理論以外に正しい理論があるかもしれないが、その手掛かりとなるデータがない。そこで、期待されているのが、CERN(欧州原子核研究機構)の素粒子加速器LHCとハイパーカミオカンデだ。LHCはすでにヒッグス粒子の発見に成功し、ヒッグス機構の提唱者であるヒッグス博士などのノーベル物理学賞受賞に繋がっている。しかし、ヒッグス機構は標準理論の枠内に在り、標準理論の検証にはなっても、それを超える理論の手がかりになるものではない。LHCでは、標準理論を超える超対称性粒子の発見が期待されているが、現時点では発見されていない。そのため、超対称性理論の正しさに疑問を持つ物理学者が増えている。一方、ハイパーカミオカンデは、カミオカンデの当初の目標であった陽子崩壊の観測を目指している(他の目標もある)。陽子の寿命が10の35乗秒程度であれば、観測が可能となる。そして、観測に成功すれば、間違いなく、標準理論を超える理論への突破口になる。そして、小柴さん、梶田さんに続くノーベル物理学賞受賞者を生み出すことになるだろう。

 小柴さんの偉大な遺産であるハイパーカミオカンデの成功を祈りたい。ただ、物理学愛好家の一人として心配なことがある。もし、LHCで超対称性粒子が発見されず、ハイパーカミオカンデで陽子崩壊が観測されないと、素粒子論の研究は行き詰る恐れがある。LHCやハイパーカミオカンデより数桁上の規模の施設を作ることは予算の問題を含めて極めて難しい。弱電磁相互作用と強い相互作用が直接的に統一されるエネルギーレベルは、天文学的なレベルであり、地上では到底実現できない。それゆえ、新たな発見がないと、ここで素粒子論は終わってしまう可能性がある。ビジネスばかりを気にする現代人は、ビジネスに役立たない研究などに金を使うな!と言い出しかねない。電磁相互作用をしないニュートリノは通信や計測には使えず実用性はない。カミオカンデとその後継はビジネスには直接役立たない。だからどうしても心配になる。もっとも、いつも前向きだった天国の小柴さんなら笑って言うだろう。「大丈夫、必ず新しい発見がある」と。


(2020/11/14記)


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