☆ 哲学的に考えること ☆


 定年で暇になったせいか、哲学的に考えないといけないことが多いことに気が付いた。哲学的に考えるとは、独善を排し、多様な意見に耳を傾け、深く考察し、たとえ答えが出ない問題でも考えることを止めないことを意味する。

 フランスで、ムハンマドの風刺画を授業で取り上げた教師が殺害された。殺人はもちろん許されないが、繰り返しイスラムを風刺しイスラム教徒の反発を買うフランスの雑誌等に対する批判も多い。イスラム教徒が多い国の一部ではフランス製品不買運動も起きている。日本国内でも、ネットではイスラム教徒を侮辱する風刺画は表現の自由を逸脱しているという意見が多い。報道各社も風刺画が社会の分断を深めているという批判的な論調が目立つ。正直、筆者も、風刺画はやりすぎで、イスラム教徒の気持ちを思いやるべきだと感じる。だが、それでは、風刺を止めるべきなのかと言うと難しい。フランスでは信教の自由は全面的に認められているし、イスラム教徒に対する差別やヘイト、憎悪を煽るような行為は厳しく禁じられている。風刺はヘイトではない。フランスでは、風刺はユーモアであり、無意識化された権威を茶化すことで、精神の自由を獲得しようとする試みなのだと思う。フランス人の立場からすると、風刺画に激しい敵意を感じる者は、ユーモア精神に欠けるということになる。それゆえ、風刺画を支持するフランスの人々やマクロン大統領を傲慢だとか、自分勝手だと非難するのは一方的すぎる。「フランスは風刺をする。風刺された者やそれに違和感を抱く者は無視するか、フランスを風刺するか、あるいは他の平和的な手段でやり返す。」そういう関係性ができるのが一番良い。とは言え、フランス流のユーモアは理解しがたいという者は多い。そういう状況の中で、風刺をする者は、風刺画が権利の濫用になっていないか吟味する必要があるはずだ。だが、それで結論が出るかというと、なかなか難しい。

 核兵器禁止条約が発効した。条約には、非人道的な核兵器の廃絶を望む世界の人々の思いが凝縮されており、発効には大きな意義がある。だが、それで核兵器廃絶への道が開けるかというと、そうはいかない。核保有国は条約に参加しておらず、条約に制約されない。日本のように安全保障を核保有国の核の傘に頼っている国も容易には参加しない。禁止条約は理念としては素晴らしいが現実的な効力は薄い。国連憲章の第2条で、戦争や武力による威嚇は否定されているが、現実には有効な外交手段として存続している。そもそも第2条が守られているのであれば、禁止条約を制定する必要はなかった。そして、戦争や軍事力による威嚇が外交手段として事実上容認されている限り、核保有国は核兵器を手放すことはない。それは外交上の大きな武器だからだ。では、核兵器のない世界など夢想に過ぎない、核兵器禁止条約は絵に描いた餅なのだろうか。そして、それでよいのだろうか。「核兵器が誕生したからこそ第三次世界大戦は回避された。それはすべての国にとって破滅的な結末をもたらすからだ。」こんな風に考えることもできる。また、闘争は人間の本性に属するから、戦争なき世界など実現できないと主張する者もいるに違いない。そうなると、核兵器禁止はもちろん、廃絶など夢に過ぎないということになる。だが、たとえ夢でも、夢を掲げることが不可欠だという考えもある。いずれにしろ、どのように考えればよいのか、結論が出ない。しかし、考えることを止めるべきではない。

 核兵器の問題に関連するが、学問の自由はどこまで認められるかという問題がある。日本学術会議は、軍事目的の研究はすべきではないと宣言している。筆者もそれは正しいと考える。だが、膨大な数の核兵器が存在している現実世界を考慮すると、自衛のための研究、安全保障のための研究は認められるべきではないかという意見は当然にでてくる。学術会議は防衛省の予算を使った研究に否定的だが、防衛省の予算を使ったからと言って軍事目的とは限らないのだから問題はないとする見解もある。人工知能や衛星技術など軍事転用が容易にできる研究は多数あるし、GPSやインターネットのようにその初期においては軍事との関りが強かった研究が人々の日々の生活に役立つこともある。軍事目的の研究と平和目的の研究の境界線を定めることは容易ではない。だからと言って、何でもありになったのでは学問が戦争やテロに利用される危険が増す。どうすればよいのか、実に難しい。

 このように、世の中には、哲学的に考えることが欠かせない問題が無数に存在する。ところが、右も左も、官も民も、非哲学的な独善的な意見が圧倒的に多い。ネットの普及がその傾向をますます強めていると感じられる。このことが、現代社会の最大の問題ではないだろうか。


(2020/10/31記)


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