☆ 41年前だったら ☆


 筆者が社会人になったのは41年前の79年だった。その当時に新型コロナが流行していたらどうなっていただろう。

 当時は、インターネットも携帯電話もなかった。パソコンもオフィスに一台あるか無いかくらいで、ほとんど普及していなかった。新型コロナが大流行しても在宅勤務など不可能で、会社員は恐怖に慄きながら決死の覚悟で満員電車で通勤していたに違いない。当時の都心の電車は今以上に混雑しており、通勤中に感染する者が続出したと思われる。

 そもそも、79年には、PCR検査の技術はなく、CTが設置されている病院は全国でも数えるくらいしかなかった。電子顕微鏡の能力も今よりずっと低かった。それゆえ、新型コロナの正体を突き止めるまでに長い時間を要したと推測され、抗菌剤の効かない正体不明の肺炎が流行している、あるいは肺炎の患者が異常に増えているとして、世界中が大パニックに陥っていただろう。病原体の正体が掴めなければワクチンの開発もできない。ワクチンの開発技術も今のように高くなく、パンデミックは短くとも2年、おそらく3年以上続き、スペイン風邪と同じ規模の被害が発生していたと想定される。
(注)当時、中国は毛沢東時代が終わり、ケ小平時代へと移行し、改革開放路線に向かっていた。とはいえ、まだ外国との交流は今ほど盛んではなく、半年で新型コロナが世界中に広がるということはなかったかもしれない。だが、新型コロナウィルスの特性を考えると、早晩、世界的規模のパンデミックになることは避けられなかったと考えられる。

 79年はまだソ連・東欧の共産圏が健在で東西対立の厳しい時代だった。それが89年から91年にかけてソ連・東欧の共産圏はあっけなく崩壊した。中国は共産党の一党支配が続いたが、経済分野では市場経済が全面的に取り入れられた。米国など西側諸国は自由民主主義と資本主義の勝利を宣言した。フランシス・フクヤマは、ベストセラーになった『The End of History and the Last Man』(1992年、翻訳『歴史の終わり』)で、社会体制を巡る争いは終わり、西側諸国の政治経済体制こそが人類の歴史の終着点であることがはっきりしたと語っている。しかし、もし79年ごろに新型コロナが流行していたらどうだっただろう。自由主義の西側諸国で多数の死者がでる一方で、国家統制が厳しい東側共産圏では早期に都市封鎖を行い、生活必需品の配給制を敷くことで、比較的短期間で感染拡大を防ぐことができた可能性がある。また、当時の共産主義国は、いわば全国民が公務員であり、失業も倒産もない。だから、経済は一時的に落ち込んでも、総じて立ち直りが早く、経済面でも西側諸国に対して優位に立つことができたと思われる。こうして、共産主義国は資本主義に対する優位性を宣伝することができ、国民も納得しただろう。そうなると、果たして80年代末の共産圏の崩壊という歴史はそのままだったか疑問になる。あるいは、今でも東西対立が続いているということもありえたのではないだろうか。

 歴史に「もし」は禁物だが、79年に新型コロナのパンデミックがおきていたら、その後の歴史は今とは大きく違ったものになっていたかもしれない。そして、これからの未来も、新型コロナがなかったならば、そうなったであろうものとは大きく違ったものになる可能性がある。


(2020/8/15記)


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