☆ 野村克也さん ☆


 日本プロ野球史上最高の名捕手、ヤクルトスワローズを日本一に導いだ名監督、野村克也さんが11日お亡くなりになった。享年84歳。心からご冥福をお祈りする。

 スワローズファンである筆者にとって、一番印象に残っているのは、言うまでもなく90年から98年の9年間のスワローズ監督時代だ。78年に初のリーグ制覇、日本一を果たしたスワローズだが、松岡、若松、大矢など投打の主力が衰え、それに代わる後継者が育たなかったこともあり、80年代後半は例年最下位争いの弱小チームだった。選手層が薄かったことに加えて、戦略、戦術が乏しかった。そのため、勝てる試合を落とし、逆転できる試合を逆転できず、黒星を重ねていた。投手はただ投げるだけ、打者はただ打つだけ、捕手のリードは教科書どおりの内角高め・外角低めの出し入れ、困ったら外角低め一辺倒と工夫がなく、巨人のような強く賢いチームには、苦も無く配球を読まれていた。よく言えばおおらか、悪い言えば賢くない集団、それが当時のスワローズだった。

 そんな中、チームの再建を託されて登場したのが野村克也監督だった。野村監督は選手にデータの重要性を教え、適切な状況判断ができる頭を使ったプレイを求め、それを実践させた(いわゆる「ID野球」)。当初、世間は「スワローズの選手に頭を使えなどと言っても、頭からスライディングすることしかできない。」と嘲った。筆者のようなスワローズファンからも野村監督の指導には疑問を呈する声が多かった。だが、スワローズは変わった。

 90年こそ5位に終わったが、翌91年には11年ぶりにAクラスに復帰、そして翌92年、阪神タイガースとの激しい優勝争いを制して14年ぶりにリーグ優勝を果たす。秋山、清原、デストラーデを擁する全盛時代の西武ライオンズを相手とした日本シリーズは、西武圧倒的有利と予想されながら、最終戦、それも延長戦までもつれこんだ。最後は力尽き西武に屈したが、スワローズの強さが本物であることを世間に知らしめて、野村監督のID野球の正しさを証明した。

 さらに93年には初のリーグ2連覇を果たし、日本シリーズでは4勝3敗で西武を破り前年の雪辱を果たし、15年ぶりの日本一に輝いた。その後も、野村監督の指揮の下、95、97年と2度日本一を獲得している。スワローズは、リーグ優勝の回数(7回)は中日、広島(それぞれ9回)に後れを取るが、日本一の回数はセリーグでは巨人に次ぐ5回。そのうち3回が野村監督の手によるものだった。

 15年にリーグ優勝を果たしたものの、ここ8年間スワローズは最下位に終わることが多く(4回)、チームの弱体化が際立っている。その要因の一つが主力の高齢化、後継者不足にあり、80年代に近い状況にあると言ってよい。いまこそ、野村監督に復帰して立て直してもらいたいところだが、それも不可能となった。誠に残念だ。ぜひ、天国からスワローズのことを見守っていてほしい。いや、それを言うのは野村克也ほどの偉大な選手、監督には失礼かもしれない。野村克也は王、長嶋と並ぶプロ野球を愛する者すべてにとっての宝なのだから。


(2020/2/16記)


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