☆ 数学は難しい ☆


 数学が苦手、嫌いという者は多い。筆者は大学に入るまでは数学が得意で、好きだった。中間試験や期末試験のとき、数学以外の科目、特に歴史などは事件が起きた年や関係者の名前など、覚えなくてはならないことが多くて嫌いだった。その点、数学は解き方を理解しておけば、試験前も特段勉強しなくても合格点が取れた。だから数学は得意だと思い、その理路整然とした学問体系に憧れを抱いた。不器用で機械の組み立てやハンダ付けなどが苦手だったにも拘らず、理工学部に進学したのは数学が得意だと思っていたからに他ならない。

 ところが、大学二年生、複素関数論のあたりから、理解することが難しくなってきて自信は揺らいだ。さらに進んで、微分幾何学、位相幾何学、関数解析などは歯が立たないという感じになってしまった。ここで筆者の自信は完全に崩壊した。

 幸い、数学が専門だったわけではなく、工学が専門だったので、それでも何とか卒業はできた。だが、子供時代憧れていた数学者や理論物理学者への道は諦めざるを得なくなった。数学が得意な者は、しばしば大学院進学時に工学から数学や物理に転じた。じつは筆者も心密かにそれを狙っていた。しかし、それは無理だと思い知らされた。そのショックは今でも忘れられない。小学生、中学生のころ、算数、数学が苦手で試験で良い点を取ることができない学友を、なぜ、このような簡単な問題が解けないのかと見下していた。だが、大学に入り、彼と彼女たちの気持ちが分かるようになった。数学に強い学友が簡単だという問題が解けないのだ。

 もっとも、工学系学科だったため、物理学や数学を専門とする学生と異なり、筆者以上に大学の数学についていけない仲間が多く、むしろ「お前は数学ができる」と言われる立場だった。それは、大学のレベルが低かったからかもしれないが、東大や京大の理工系や医薬系の学生でも数学に苦労している者は多く、大学のレベルだけの問題ではないだろう。要するに、数学は難しく、高校までの段階では得意と言えた者でも、大学、大学院へと進むにつれて苦手と言わざるを得なくなる者が増えてくる。

 だが、数学のどこが難しいのか。その論理は、あらゆる学問の中で最も明快と言って間違いない。しばしば本人すら理解しているかどうか怪しい哲学の言説などとは比較にならない。それがなぜ理解が難しいのだろう。

 要するに人間の脳は計算機ではないということだと思われる。人間の脳は自然環境の中で進化し、高度な社会生活を過ごすのに適した形態・機能に進化した。その結果、数学を生み出し運用する能力が脳の技能の一つになった。しかし、高度な数学(たとえば、微分幾何学、関数解析など)は自然界とは直接的な関わりが乏しく、誰もがそれをすぐに理解できるような代物ではない。数学は、それゆえ、その基盤は人間の脳にあるとしても、決して脳にとって得意な領域ではない。数学が得意だと思っていられるのは、数学の初歩、小学校、中学校、高校の段階だけで大学、大学院と進むにつれて、ごくわずかな秀才だけがそれをとことん突き詰めていくことができる。筆者が数学が得意だと自惚れていることができたのが高校までだったこともごく自然なことだった。

 不思議なことに、コンピュータは単純計算は得意だが、数学の問題をすべてすらすら解ける訳ではない。数学は定理の証明を含めて、チューリングマシンにおける計算と解釈することができるが、計算だとしても、計算の仕方や順番などは、ある種の閃きがないと決められない。人間にはその閃きの能力があり、単純にアルゴリズム化できない。それゆえ、おそらく、コンピュータで未解決の数学の問題、リーマン予想とか、NP≠P問題などをコンピュータで解くことができるようになるには、まだだいぶ時間が掛かるに違いない。その意味で、そういう閃きを持った人間は、本当の意味で数学が得意だと言える。自分がそうではなかったことが残念だが、こればかりは致し方ない。


(R1/5/12記)


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