科学や技術の目的は何か。子ども頃に読んだ本にはこう書いてあった。「世界中の人々が豊かで平和で心身ともに健康的な生活ができるようにすること」。 これは子ども向けの本で、きれいごとが書かれていると当時も言われていた。だが、子どもが相手であろうと、大人が相手であろうと、本来、これが科学や技術が目指すべき目的であることは間違いない。ところが、世間にあふれる科学や技術の解説書は、「これは将来数十兆円規模の産業になる。」、「今、これに乗り遅れたら日本の未来はない。」、「この技術に注目しない人や企業はグローバル市場で生き残れない。」、「この技術の普及で、今の仕事は半分以上不要になる。」などと、人や企業を不安にさせるようなことばかりを書いている。 ほぼ30年前に東西冷戦が終結し、中国が市場経済に舵を切った時から、理念としての科学や技術は影を潜め、もっぱら市場競争で優位に立つための手段としての科学と技術という観点が前面にでるようになった。 もし、多数の人間が職を失い貧しくなるのであれば、そのような技術は導入するべきではない。あるいは、現在の社会体制を変えれば、その技術の普及が人々を幸福にするのであれば、社会体制を変える必要がある。ところが、人々が豊かになるための一手段に過ぎない市場が、あたかもそれ自身に価値があるかの様に神格化されている。その結果、市場は無条件の前提とされ、それに奉仕することが科学や技術の目的だとされることになった。科学や技術が人々の幸福を増進することではなく、市場の繁栄という観点から語られるようになったのは、このためだと言えよう。 これは資本主義社会の必然だと言う者もいる。「資本家は、市場を通じて生産現場で労働者から搾取した剰余労働を利潤・利子・地代へと転化する。そのため科学や技術を市場の繁栄の道具へと転化し、その力を追い風に「市場の繁栄=人々の幸福」というイデオロギーを絶え間なく再生産する。その結果、人々は市場、科学や技術を信奉し、機械化された労働現場で疑うこともなく汗を流し、生命を消尽し、環境を破壊する。労働を終え生活の場に戻ってすら、スマホやパソコンを操作することで自らを市場の一部へと転化させている。」最近では少なくなったが、学生時代にはこういう教説をよく耳にしたものだった。 このような考えは正しい面もある。利潤を追求する資本主義では、人も、技術も、科学も、それに従属する傾向がある。それが市場至上主義的な科学解説や技術解説に反映されている。だが、それを資本主義の必然と考える必要はない。資本主義は、労働者を搾取し、科学と技術を市場の繁栄のための道具と化し、環境を破壊することを目的とするものではない。資本主義はただ(利潤、利子、地代へと転化する)価値増殖を求める。その手段の一部に、市場と同様に、科学や技術があるに過ぎない。それゆえ、資本主義では必ず科学や技術が市場に従属し、さらに人々がそれに従属するとは限らない。 革命的変革がやがて必要になることもあろう。だが、それを待つことなく、政治の改革と思想の転換を通じて、科学や技術を人々の幸福の増進という私たちが本来期待している方向へと転換していくことは十分に可能だと思われる。そのために、まずは発想の転換を行い、市場での効用を前面に出すような科学や技術解説書は眉に唾を付けて読み、批判的に評価することから始めたい。 了
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