フランスでは、一昨年11月、大規模なテロを切っ掛けに非常事態宣言が出され、テロ再発防止のために移動の制限、令状なしの家宅捜索など、一定範囲で基本的人権の制限がなされている(近く解除される)。このような行動を取る国家の権利を国家緊急権という。これは、戦争、内乱、大規模自然災害など平時の統治機構では対処できない非常事態に陥った時に、国家は治安秩序維持や国の立て直しのために、憲法で保障された基本的人権などを一定範囲で制約することができるという思想に基づく。そして、日本でもフランスの非常事態宣言に刺激されてか、改憲論争の中で、憲法に国家緊急権(を表現する緊急事態条項)を追加しようという動きが本格化している。しかし、これには様々な問題がある。確かにフランスの憲法には国家緊急権を認める条項があるが、フランスでも国家緊急権には批判がある。 まず危惧されるのは、政府の恣意で緊急事態が何かを決めることにならないかという点だ。たとえば政府を批判するデモ隊が国会を取り囲んだとき、デモ隊が批判の声を上げているだけで、暴力行為に及んでいないにも拘わらず、政府がこれを緊急事態と宣言し、デモ隊を力で解散させ、デモの指導者を逮捕するというようなことが考えられる。しかも、そのデモが少数意見の者たちのデモである場合、政府の行動を多数の国民が支持し、デモを実行した少数者の権利が侵害されたにも拘わらず補償がなされないということになりかねない。民主制は必ずしも人権を保障するものではない、むしろ、時には少数者の権利侵害に繋がることもある。海外を見ても、立憲民主制国家ですら、国民の多数意見の前に少数民族やマイノリティーの基本的人権が侵害されていることがしばしばある。 それゆえ、国家緊急権を一切認めないという立場もある。そのような立場を取れば、当然のことながら憲法に緊急事態条項を追加することは決して認められない。しかし、内乱、未曽有の大規模自然災害や事故などが発生し、一定期間、一定の範囲で超法規的に基本的人権を制限する必要が生じることはありえる。それゆえ国家緊急権を完全否定すると、事前に全ての緊急事態・非常事態に対処するための法律を作っておく必要が生じる。しかし何が起きるかを事前に全て予測することは現実的には不可能と言わざるを得ない。また、事前に制定した法律が基本的人権を制約する恐れもある。 それゆえ、国家緊急権の発動の要件、権者、効果を憲法と関連する法律にしっかりと明記し、かつ国会が緊急権発動の是非を審査し解除を命じることができるようにすることで、執行権力の恣意を抑制し、かつ、緊急事態に対処できるようにすることが最善策に思える。だが、国家緊急権をどこにどう規定すればよいかを決めることが極めて難しい。現行憲法には国家緊急権に関する規定はない。それゆえ、まず憲法に国家緊急権の要件と権者と効果の概要を記載し、具体的な要件と効果などは国会で制定される法律に任せるということが考えられる。しかし、現行憲法は、明記されてはいないが国家緊急権を容認していると解釈する憲法学者がおり、その解釈に従うと憲法に国家緊急権を追加する必要はないことになる。一方、国家緊急権を否認していると解釈すると、憲法に国家緊急権の追加が不可欠となる。しかし、現行憲法が国家緊急権を否認していることを積極的に評価する者は如何なる場合でも国家緊急権の発動は認められないという立場(先に述べた国家緊急権否定論)を取ることになるから事は簡単ではない。このように、憲法解釈論の観点からも国家緊急権の扱いは難しい。 だが、何よりも難しいのは、要件、権限、効果をどこまで細かく規定すればよいかを決めることだ。細かく規定すればするほど歯止めは掛かる。だが、事前に緊急権を必要とするあらゆる非常事態や緊急事態を予測し、それぞれの場合の措置を決めておくことは現実的にはできない。もし、それができるのであれば、それらを全て法律で事前に規定しておけばよいことになり、国家緊急権は要らない。それゆえ、細かく規定しすぎると、いざと言うとき想定外の事象だったために発動すべきなのに発動できないということになりかねない。それを避けるためには、あまり細かい規定はせずに抽象的な規定に留め、具体的な措置は発動権者の裁量に任せるという方式が考えられるが、そうすると歯止めが効かなくなってしまう。 いずれにしろ、国家緊急権の明文化には解決すべき課題が多い。戦後、一度も国家緊急権の発動を必要とするような事態にはならなかったことに鑑み、国家緊急権の憲法への追加は見送り、想定されうる非常事態に対処するための法整備を進めることが妥当な策だと考えられる。 但し、個別の法整備にも難しいところがある。先に国家緊急権否定論者に対する異論の最後でも述べたとおり、非常事態に対処するために制定した法律が基本的人権の侵害に繋がる危険性がある。反対意見を押し切って先の国会で成立したテロ等準備罪(批判者がいうところの共謀罪)も、ある意味で、テロという非常事態への対処、国家緊急権の具現化への第一歩と見ることができる。そして、事実、テロ等準備罪には基本的人権侵害の危険性がある。想定しうる非常事態を全て列挙し、それらに対して事前に法律を制定すると、益々人権侵害の危険性が拡大する。こう考えていくと問題が起きるまでは何もしないという消極的な立場が最善ということになるが、それで本当に大丈夫なのか疑問が残る。 このように国家緊急権は難しい。右寄りの者たちからは、「それみろ。リベラル気取りは、いつも、こうやって自家撞着に陥る。」という嘲りの声が聞こえてきそうだ。だが、自家撞着を恐れて何も考えないことは良くない。 了
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