☆ それでも人間は凄い ☆


 人工知能が囲碁や将棋で最強のプロ棋士を破ったことが話題になっている。凄い進歩だと思うが、人工知能のシステム規模を考えると人間の凄さが際立つ。

 最強クラスのプロ棋士を次々と破ったアルファ碁は千二百を超えるCPUと百七十を超えるGPUが分散処理をして棋譜(対局の指し手の記録)を学習し、プロ棋士との対局に臨む。高密度化が進むコンピュータシステムだが、それでもこの規模になると相当のスペースを取る。一方、プロ棋士は、ほんの小さな脳しか持っていない。それなのに、負けたとは言え、その小さな脳で巨大な人工知能とほぼ互角の勝負をしている。これは物凄いことではないだろうか。しかもプロ棋士たちは囲碁を指すだけではなく、日々の生活で直面するあらゆる課題をこなしている。それに比べると、人工知能にできることは如何に小さいことか。

 これは自動車と世界最速の男ボルトとの比較に等しい。自動車は100メートル競走でボルトに勝つ。しかし、ボルトは100メートルを走るだけではなく、山を登り、海を泳ぎ、少し練習をすればサッカー、テニス、野球、ゴルフなどあらゆるスポーツができる。それだけではなく、観客を喜ばせるために様々なパフォーマンスをし、インタビューにユーモアたっぷりの返答をする。ボルトは自動車よりも遥かに優れている。プロ棋士と人工知能の関係も同じで、人工知能はプロ棋士に遠く及ばない。

 アルファ碁にも応用されているディープラーニングの成功で、業界は沸き立っている。その余波も手伝い、遠くない将来、人工知能が人間を超えると予言する者が少なくない。しかし、そう簡単にはいかないと思う。人工知能開発の難問、フレーム問題はディープラーニングでも解決されていない。解くべき課題が複雑になるにつれて計算量が指数関数的に増大し計算が不可能になると言う技術的な課題も克服できていない。何より、人間の脳のようなコンパクトな構造で知能を実現するためには解決すべき課題が余りにも多い。

 人間の知能は、生物進化の過程で40億年近い歳月を掛けて誕生した。そう簡単には、それを超えるものは生まれない。人間(並びに他の動物)の知能とは静的なものではなく、環境への適応、環境の改造という生物固有の動的過程でその本領を発揮する。人間の知能とは生命活動の一断面であり、生命を持たない人工知能とは大きな隔たりがある。人工知能は確かに個々の課題(囲碁で勝つなど)では人間を凌ぐ。しかし、トータルな機能では人間には敵わない。やはり人間は凄い。但し、正確に言えば、本当に凄いのは人間ではなく生命という存在だと思われる。


(H29/7/16記)


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