☆ 監視社会 ☆


 「最大多数の最大幸福」を標榜し、功利主義の開祖とも言われるベンサムは、18世紀の終わり、新しいタイプの刑務所を構想した。それはパノプティコン(全展望監視システム)と呼ばれる。中央には監視室があり囚人たちの独房が一望できる。一方、囚人たちは監視室が見えるが、看守が自分を監視しているかどうかは分からない。

 パノプティコンは評判が悪く、しばしば監視社会の恐怖を象徴する存在として取り上げられる。現代のネットワーク社会に批判的な者は、それを電脳パノプティコンだと揶揄する。

 しかし、ベンサムは監視社会を構想した訳ではない。あらゆる法律は自由の侵害で、それが許容されるのは社会の幸福度が増えるときに限るとベンサムは主張した。ベンサムは、革命的な自由主義者であり、時代に先駆け、死刑廃止を主張し、同性愛者と動物の権利を擁護した。何故、そのベンサムがパノプティコンなどを構想したのだろう。

 パノプティコンでは、囚人たちは、常に監視されている可能性があるから、悪いことができない。そこで囚人たちは自然と良い行いをする習慣が身に付き、更生する。犯罪は被害者にとってはもちろんのこと、犯罪者にとっても不幸をもたらす。それゆえ犯罪者が更生すれば、社会全体の幸福は増大する。パノプティコンでは、囚人は監視されているかもしれないという不安に苦しめられる。しかし、悪に染まったままでいるよりも、更生した方が囚人の幸福は増大する。その利得は監視される不安よりも大きい。そして社会にとっては言うまでもなく犯罪者が更生することが望ましい。だから、パノプティコンは正当化される。ベンサムはそう考えた。実際、ベンサムがパノプティコンを構想した当時の刑務所の状態は酷く、非人道的な行為が罷り通っていたと言われる。ベンサムは監視社会を作ろうとしたのではなく、社会を改善しようとした。

 パノプティコンが普及することはなかった。それは主として技術的、経済的な理由からだったと思われる。しかし、パノプティコンからは、監視社会の暗い影が透けて見える。オーウェルは、代表作「1984年」で独裁社会の恐怖を描き現代文学に決定的な影響を与えた。その「1984年」は、社会全体に拡大したパノプティコンとそれを操る姿の見えない独裁者を描いた作品として読むこともできる。そして、ナチスやスターリニズム、戦前の軍国主義の日本、などパノプティコン的な社会システムが支配者に利用された事例は多数ある。それは今も絶えることはない。時代的な制約もあり、ベンサムはパノプティコンの危うさに気が付かなった。

 街の至る所に監視カメラが設置されている。建物の中では監視されていない空間はトイレの中くらいしか見当たらない。勿論、自宅の中は監視されていないし、犯罪捜査など特別の理由がない限り、監視することは禁じられている。それゆえ、現代の日本社会をパノプティコンだと言うことはできない。しかし、そうなる恐れがない訳ではない。

 いま、共謀罪が成立しようとしている。情報通信ネットワークが社会の隅々にまで浸透した結果、ネットを介した組織犯罪の危険性が拡がっている。また組織犯罪のグローバル化も進んでいる。それゆえ、共謀罪がテロなど組織犯罪防止のために必要だという意見は分からないではない。安倍首相や自民党、検察などが国民を常時監視し支配しようと企んでいるなどとも思わない。しかし、共謀罪は、「計画」や「準備行為」の定義や適用範囲に曖昧さがあり、パノプティコンを生み出す危険性は否定できない。

 ベンサムの善意が、オーウェルの「1984年」の世界と通じているように、共謀罪を推進している人々の善意も「1984年」に通じている。情報処理技術が飛躍的に進歩しネットワークが拡大したことで、個人の行動や思想を調査し監視することが容易になっている。その気になれば、国家はターゲットになった人物の行動や思想を徹底的に調べ、監視することができる。一方で、その人物は国家の動きと意図を知ることができない。恐ろしいことではないだろうか。それはカフカの「審判」の世界を彷彿とさせる。多くの者は杞憂だと言う。だが本当にそうだろうか。


(H29/5/22記)


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