☆ 人間のお仕事 ☆


 人工知能の進歩は目覚ましい。パターン認識能力が飛躍的に向上し、人間より遥かに高速かつ正確な計算能力と相俟って、人間の知性を超える段階に近づいている。人間の身体の柔軟な動きと比較すると、現在のロボットはまだまだ不器用だが、この分野でも進歩は速く、人間に近づき抜く日はそう遠くない。 そうなると、人間の仕事は、やがて、すべて人工知能やロボットに置き換わり、人間は遣ることがなくなるのだろうか。

 幸か不幸か、そうはならない。どんなに進歩しても、人間に残される仕事がある。それは決断と責任だ。

 市場環境の変化で売上も利益も減少傾向にある企業の社長が、他業界への進出を考えているとしよう。社長は人工知能に提案を求める。人工知能は答える。「AからE、5つの策がある。Aは成功する可能性は高いが、売上も利益も大きくない。Eはリスクが大きいが成功すれば売上も利益も大きく伸びる。B、C、Dはその中間だ。」人工知能は人間のスタッフよりも良い提案をする。そこで社長は人工知能にさらに尋ねる。「君なら、どの選択肢を選ぶかね。」と。人工知能は「私ならばCだ。」と回答する。社長は人工知能を信頼してCという施策を選択する。ところがそれは失敗に終わり、株主総会で社長が糾弾される。社長は「責任はCが最善だと考えた人工知能にあります。責任を取らせて人工知能は破壊しました。」と答える。株主は納得するだろうか。するはずがない。人間である社長が責任を取らなくてはならない。そもそも、人工知能の提案をそのまま受け容れるのではなく、熟慮の上で自らの意思で決断しなくてはならなかった。

 自動運転車が人身事故を起こしたとしよう。賠償責任を自動運転車に負わせることができるだろうか。できるはずがない。所有者か、所有者以外の者が乗車していたのであればその者か、製造者が責任を取らないとならない。おそらく所有者又は製造者に保険加入が義務付けられ、事故発生時には保険が支払われるような制度ができるだろう。

 要するにどんなに賢くても、人工知能やロボットは責任が取れない。だから、決断は人間がして、責任も人間が取らなくてはならない。

 ところで、なぜ、人工知能やロボットは責任がとれないのだろうか。それは、人間社会の暗黙の規則として、あらゆる係争に関して、その責任者は人間であると定められているからだ。どんなに優秀でも、人工知能やロボットは人間の道具にすぎない。だから人工知能やロボットに責任を帰属させることはできない。

 しかし、鉄腕アトムのような心を持つ優秀なロボットが誕生したらどうだろう。悩ましいところだ。だが、やはりアトムに責任を負わせることはできない。責任を負わせるということは義務を課すということを意味する。しかし義務だけで権利がないというのは正義に反する。だから義務を課す以上、権利も与えなくてはならない。そうなると、権利主体となった人工知能やロボットを害する行為は罰せられることになる。殺人ならぬ殺ロボットなる罪が新設されることになろう。だが、そのような罪を導入することはできない。アトムのような心を持つロボットが登場すると、「人間は愚かで弱い。私が世界を支配する必要がある。」と考え行動する危険性が生じる。現代の技術水準では、人間を支配するロボットや人工知能が登場する可能性はない。誰かがロボットやインターネットを使って、ロボットが支配する社会を作ろうとするかもしれないが、それは、あくまでもそれを考えた人間が支配する社会であり、ロボットが人間に反乱を起こすわけではない。だが鉄腕アトムのレベルになると、そうとも言っていられなくなる。ロボットが人間を支配し搾取する危険性が無視できなくなる。だとすると、ロボットが人間に反乱を起こした時に、人間の自由を守るために、無条件でロボットを破壊できるようにしておく必要がある。そのためには人工知能やロボットに権利を与える訳にはいかない。ロボットに与えられた生存権が、無条件のロボット破壊を非合法化するからだ。

 どんなに進歩しようと、能力が高くなろうと、人工知能やロボットに権利を与えることはできず、義務を課すこと=責任を取らせることはできない。決断すること、責任を取ること、それらは、いつの時代になっても、人間のなすべき仕事として残る。割の悪い話しのようにも聞こえるが、そこにこそ、人間の自由と尊厳がある。


(H29/4/16記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.