世界で最も売れていると言われる経済学の入門的教科書「マンキュー経済学」には、経済学の10大原理が掲げられている。その第3原理には、「合理的な人々は限界的な部分で考える」とある。つまりある財の購入に伴う限界費用と限界効用を比較して、限界効用が大きければ購入するという訳だ。 日頃の行動を考えると、この原理は正しいように思える。高額商品を購入するとき、購入することで新たに得られる効用と、支払う金額などの追加の費用を比較対照して、購入するかどうかを決める。たとえば新しいPCが発売されたとしよう。手許にはまだ数年は使えるPCがある。だが新しいPCは機能が豊富で魅力的だ。どうするか。手許のPCを中古店で売り、新しいPCを買うことを考える。中古店から買取金額の見積もりを取り、その額を新しいPCの価格から引き算する。その額が追加で掛かる費用となる。一方、購入により新たに得られる効用(古いPCではできなかった処理ができるなど)を計算する。効用を金額換算することは容易ではないが、何らかの基準を定めて金額換算する。そして先の費用と比較する。効用が費用より大きければ購入、小さければ見送る。こういうことを、私たちは日頃、無意識のうちにしている。それゆえマンキューの原理は正しい。 しかし、よく考えると疑問が浮かぶ。このような計算は、人々が、いつの時代、どこでも行っていたことなのだろうか。学校で経済学を習い、限界効用や限界費用という考え方を習得したから、先のような考察を行うようになったと言うべきではないだろうか。子どもの頃は、そのような計算はできなかった。 つまり、マンキューが提唱した原理は客観的な真理と言うよりも、推奨される行動の指針と言うべきものなのだ。それに従うかどうかは、各人の趣味とその場の判断による。その点で、経済学の原理は、(破ることが不可能な)物理学の原理とは大きく性格が異なる。経済学は説得の技術だというのが筆者の考えだが、この事実は、それが概ね正しい見方であることを示している。 了
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