神保町の古書店街を歩いていて愕然とした。靖国通りと専大通りの交差点、東南側すぐそば、ブックハウス神保町が1階にあるビルが改装工事をしている。慌ててネットで調べたところ、ブックハウス神保町は2月20日をもって閉店したとのこと、とても残念だ。 古書店街でもひときわ目立つ洋風の建物、ブックハウス神保町は神保町のランドマークの一つでもあった。お客さんの入りは確かに良くはなかったが、毎週のようにイベントが開催されており、閉店することになっていたとは気付かなかった。 ブックハウス神保町は、愛書家の間では、東京の数少ない絵本の聖地と呼ばれていた。小学校に上がる前くらいの子どもたちが、店の中央スペースに置かれた綺麗なソファーの上で、親と一緒に本を読んでいる姿は本当に微笑ましかった。こうして、子どもたちは本の素晴らしさを知り、文化を継承し新たに創造していくのだと思っていた。だが、その貴重な場所が失われた。 近頃は小学生になる前から、子どもたちはスマホやタブレット、パソコンに親しむ。そしてそこで情報を得る。こういうご時世だから本には縁遠くなる。ブックハウスが行き詰るのも止むを得ないのかもしれない。だが、それでよいのだろうか。最近の電子書籍は良くできており、端末で本のページをめくる感覚を疑似体験できる。だが、それは本物の本をめくるのとは根本的に違う。気に入った本のページをめくるときのわくわくする感じはそこにはない。スマホやタブレットでは、所詮、どのような手段を用いても、機械的なアルゴリズムに基づく情報収集に終わる。 近年、人工知能が急速に進歩し、産業や生活のあらゆる場面で、利用されるようになってきている。遠くない将来、その知的能力は人間を超えると予言する専門家も少なくない。そんな時代の流れの中で、やがて社会の中心となる子どもたちが、専らネットで情報を収集し発信するようになったら、人工知能装備のロボットと人間の差は無くなってしまう。そこに残るのは経済的合理性と効率性だけで、文化は消滅する。たとえば芥川賞受賞作品は価格と市場の評判だけで価値が決まる純粋な商品、株式と同種の空疎な商品となり、賞は単なる広告宣伝の道具となる。 そのような予測は杞憂に過ぎないと断言できるだろうか。それとも、「予測通りになる。だがそれは悪いことではなく良いことで、文化などという役に立たないものが消滅することは進歩の徴となる。」とでも言うのだろうか。いずれにしろ、いま、全てが経済に統合され、文化は危ういところにある。スマホもタブレットもそれ自体は別に悪いものではなく人間の可能性を広げる。しかし、全てがそこに回収されるとき、それは単なる資本(自己増殖する価値体)と権力の道具になり、人間性の喪失をもたらす。生は機械とネットワークの一部になり権力の恣意に支配される。私たちは、それに抵抗して、文化を継承し創造する道を探る必要がある。 了
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