☆ 人工知能の普及 ☆


 人工知能は大いに話題になっているが、近いうちに社会の多くの分野で使われるようになると言う者と、一時的なブームに過ぎないと言う者がいる。

 同じようなことが起きたのが、90年代半ばのインターネットだ。肯定的な者も多かったが、否定的な意見も多かった。筆者の周囲にも、80年代前半のニューメディアと同じ道を辿る(一時的なブームで終わる)と否定的に語る者がたくさんいた。海外では、急増するトラヒックを処理しきれずインターネットは崩壊すると予言する者もいた。

 インターネットは、当時の最も楽観的な予想ほどではないとしても、その後、爆発的に普及し社会的インフラとなっている。今ではインターネットなしの生活は考えられないという者が多い。インターネットが使えなくなったら、企業は大混乱に陥る。つまり否定的な意見や懐疑的な意見は正しくなかった。

 では、人工知能はどうだろうか。普及すること自体が善か悪かは別にして、大いに普及すると予想する。インターネットは普及し始めたころ、何にそれを使うか明らかではなかった。しかし、それでも普及した。人工知能はそれを使って何ができるか、どの分野でそれが期待されるかが比較的はっきりしている。だから、90年代半ばのインターネットよりも、人工知能の将来は明るい。但し、インターネットを開発することと、人工知能を開発することを比較すると、後者の方が格段に難しい。その点で、普及に時間が掛かる可能性はある。

 グローバル市場経済化によるビジネスの拡大、インターネットやITの普及で、世界には膨大な量の情報が蓄積されている。そして、それは日々加速度的に拡大している。それゆえ、人工知能無しでは遣っていけなくなる日は遠くない。今のコンピュータやロボットは、アルゴリズムとそれを表現するプログラムを、ほとんど全て、人手で開発しなくてはならない。この手間が大変で、人工知能以前の技術に留まっている限り、増大する情報を処理しきれない。自ら学習し様々な状況に対処できる人工知能があって初めて、これら膨大な情報を処理し有効活用できる。

 さらに、様々な分野で人工知能の活用が期待される。介護を一つの例として挙げることができる。身体や認知に問題を抱える高齢者や障がい者の介護は大変な仕事だ。ベテランでスキルの高い介護士と言えど、疲れ果て、苛立つことは少なくない。だが、人工知能が制御する介護ロボットであれば疲れをしらない。同じ話しを繰り返し聞かされても、苛々することもない。さらに充電すれば24時間働くことができる。ロボットに高齢者や障がい者を任せることに倫理的な観点から違和感を覚える者は多くいるだろう。しかし大切なことは介護される側の生活の質だ。全面的にロボット任せにすることは好ましくないとしても、家族と介護士などと協力して人工知能やロボットを使えば、必ず良い効果が生まれる。他にも、保育、教育、保健衛生、医療などの分野で大いに活躍することになろう。人工知能やロボットが一定水準の医療行為をできるようになれば、戦闘やテロで危険な地域、感染症が蔓延して医療関係者にとってもリスクが高い地域での医療は格段に改善する。夜間休日に家族や自分自身が急病になると、診察してくれる医療機関を探すのに苦労する。我慢して手遅れになることもある。だが医療活動ができる人工知能やロボットが登場すれば、状況は格段に改善される。混雑する駅のホームでの事故が絶えないが、人工知能がホームを監視することで事故を減らすことができる。うまく活用すれば、人権を侵害せずに犯罪やテロを抑止することも可能となるだろう。現在は十分な教育を受けられない途上国の人々、特に子供たちに、より良い教育環境を与えることもできる。

 人工知能が、学問上の難問たとえばリーマン予想を解く、新しい画期的な技術を生み出すことも期待される。人工知能は、他人の論文の盗用やデータの捏造をチェックし、科学者の倫理を向上させ、同時に一般市民が科学者や技術者の行動に関心を持ち、それをチェックすることにも繋がる。これらのことは、細分化が進み専門家しか理解できない孤立した諸学や諸技術を有機的に統一し、科学や技術をより社会に有益なものとすることに役立つ。芸術や文学も人間の専売特許ではなくなる。もちろん技術進歩だけで世界がよくなるわけではない(悪くなる可能性もある)が、これらは人間の可能性を大きく拡げることに貢献すると期待してよい。

 グローバル化とICTで情報量が飛躍的に増大し、先進国を中心に高齢化が進み、世界的に見れば人口爆発が続いている現代、人工知能は待ち望まれている技術だと言ってよい。必要は発明の母であり、おそらく人工知能は基礎研究レベルでも応用面でも進化が加速する。そして、それが受容される社会環境はすでに確立されている。2045年に人工知能は人間を超え人間は不要になる、あるいは人間は人工知能に征服されるという予言が当たるとは思えない。しかし、人工知能やロボットが社会的に巨大な存在となることは間違いない。人工知能が日常生活に浸透することは、インターネットや携帯電話とは比較にならないほどのインパクトを社会に与える。これまでのコンピュータや情報通信ネットワークは、単に計算が早いだけの機械、通信容量の大きい情報通信回線に過ぎなかった。しかし、人工知能は人間の高度な知性や感性に直接的かつ能動的に関与してくる。私たちは、法整備や思考と行動の変革を通じて、それに備える必要がある。

 ところが、人工知能に関する本や記事の多くが、ビジネスチャンスが拡大するとか、人工知能で職を失う者が多数出るとか、専ら経済効果だけを論じている。それも資本主義を不変の前提とした議論に終始している。しかし、それでは折角の人工知能が有する明るい未来を拓く可能性が、単なる特定の国や企業の市場競争における優位性確保の道具に堕してしまう。人工知能が過去の技術とは全く異質な技術であることから、資本主義そのものの批判的検討が欠かせない。そのために、哲学の存在意義が再評価されることにもなろう。


(H29/1/15記)


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